「ボンバーヘッド」の愛称で親しまれた元サッカー日本代表の中澤佑二氏は、40歳で選手を引退するまで派手な外見とは真逆の実生活を送っていたという。イーオンの三宅義和社長が、その半生を聞いた――。(1回目/全3回)
元サッカー日本代表の中澤佑二氏
撮影=原貴彦
元サッカー日本代表の中澤佑二氏

まだ現役でいられたが、引退を決意した理由

【三宅義和(イーオン社長)】中澤さんは、多くのファンに惜しまれつつも、2019年に40歳でプロを引退されました。どのような心境で引退を決意されたのでしょうか。

【中澤佑二(元プロサッカー選手)】僕がJリーグでプレーするなかで常に目標としてきたのは、「自分の実力でレギュラーの座を勝ち取り、試合に出続ける」ということでした。「ベテランだから」という理由で試合に出させてもらうのではなく、「実力で選ばれたい」という思いが強くあったのです。

しかし、2018年に膝の手術を受けて、その後は思うようなプレーができなくなりました。「このパフォーマンスだったら、実力で試合に出られることはないだろう」と感じ、引退を決意しました。

【三宅】ということは、まだ現役を続けられるレベルではあったと?

【中澤】やろうと思えば、できました。実際、移籍のオファーをいただいたチームもありましたが、それを受けてしまうと、おそらく中途半端な形でダラダラと現役を続けてしまいそうな気がしたのです。「J1で常に最高のプレーをする」という自分の信念に反すると思い、長年お世話になったマリノスの一員であるうちに、潔くやめたほうが良いだろうと。

【三宅】そうでしたか。20年間にわたるプロ生活、大変お疲れ様でした。