目標を達成できる人はどこが違うのか。元サッカー日本代表の中澤佑二氏は、「『とりあえずJリーグに出たいです』とか『まずはレギュラーですかね』という選手はたいてい伸び悩みます。自分で目標を掲げ、それに向かって自分で行動できなければいけません」という。イーオンの三宅義和社長が聞いた――。(3回目/全3回)
元サッカー日本代表の中澤佑二氏
撮影=原貴彦
元サッカー日本代表の中澤佑二氏

日本で2年間サッカー浪人「母校の先生に頭を下げた」

【三宅義和(イーオン社長)】中澤さんはブラジルに1年間サッカー留学に行かれた後、日本で2年間サッカー浪人を経験されていますね?

【中澤佑二(元プロサッカー選手)】はい。ビザの関係で留学が中途半端に終わってしまい、仕方がなく、母校のチームに混じって練習をしていました。1年後、ヴェルディのユースチームと練習試合をしたのがきっかけで、練習生にしていただき、21歳のときにプロ契約を結びました。

【三宅】なかなか結果が出ない時期を、どのように乗り越えたのでしょう。

【中澤】自分の中で「プロサッカー選手になる」という目標を定めて動いていたわけですから、「やっぱりいいや」と投げ出すことは選択肢にありません。では何をしなければいけないかと考えたとき、サッカーはチームスポーツなので、どんな形でもチームに所属してサッカーを続けることが絶対条件だと思ったのです。

【三宅】試合勘などを鈍らせないためですか?

【中澤】はい。当時、僕のようなサッカー浪人はたくさんいて、話を聞くと公園で一人でボールを蹴っているような人が多かったのですが、個人練習だけでは限界があります。そこで恥を忍んで、母校の先生に頭を下げ、部員にお願いをして、特例で練習に混ぜてもらったのです。

【三宅】アルバイトなどはせず?

【中澤】サッカーだけです。母親から「22歳までにプロになれなかったら働きなさい。それまでは自由にやっていい」と言われていたので、実家でお世話になりながら、朝から晩までサッカーをしていました。