元サッカー日本代表の中澤佑二氏は、プロになる前、ブラジルにサッカー留学をしている。公用語のポルトガル語は一切勉強していなかったが、そこから半年で耳が慣れて話せるようになったという。イーオンの三宅義和社長が聞いた――。(2回目/全3回)
元サッカー日本代表の中澤佑二氏(左)とイーオン社長の三宅義和氏(右)
撮影=原貴彦
元サッカー日本代表の中澤佑二氏(左)とイーオン社長の三宅義和氏(右)

プロサッカー選手になるための3つのプランからブラジルへ

【三宅義和(イーオン社長)】中澤さんは、高校卒業後にブラジルへサッカー留学に行かれています。これには、どのような背景があったのですか?

元サッカー日本代表の中澤佑二氏
撮影=原貴彦
元サッカー日本代表の中澤佑二氏

【中澤佑二(元プロサッカー選手)】中学3年生のときに「プロサッカー選手になる」と決めて、高校時代もそのことしか考えずにサッカー漬けの毎日を送っていました。その間、「プロという目標に至る道には、どんなものがあるのだろう」といつも考えていて、結論として3つあると思っていたのです。

ひとつは、高校で活躍してプロ入りする。それが叶わなかったら、大学や社会人のチームに入ってプロを目指す。それも無理な場合は、ブラジルへ留学して、そこで活躍して、Jリーグのチームからオファーを受けて帰国するという、3つの道です。

【三宅】非常に戦略的に考えられたわけですね。

【中澤】そうですね。最初の2つのプランは叶いそうになかったので、両親や高校の監督などに相談しながら、ブラジル行きを決めました。ブラジルはサッカー王国なので、「世界ナンバーワンのフォワードが育ったブラジルで、そのフォワードを抑えることができれば、自分が世界ナンバーワンのディフェンスになれるのではないか」という動機もありました。実際には「留学後、日本でサッカー浪人を経てプロになる」という4つ目の道を通ることになるのですが(笑)。