失敗学の権威が「失敗」を推奨しない理由
「失敗学」の提唱者として、「どんな失敗をしたらいいのか」とか、より詳しく「年代別に経験しておいたほうがいい失敗はあるのか」と聞かれることがあります。相手が具体的な失敗の話を期待しているのはわかっていますが、こういうときは誤解がないように、少し角度を変えながら丁寧に説明するようにしています。
質問にストレートに答えるなら、「失敗なんてしないほうがいいし、経験しないで済むならそれに越したことはない」となります。しかし、これでは身も蓋もないので、ちゃんと理由を述べます。
失敗は痛みを伴うもので、真剣に取り組んでいることであればなおさら失敗したときのダメージは大きくなります。実害だけでなく心も大きな影響を受けて、そこから回復できずに再起不能に陥ったり、場合によっては命が奪われることもあります。そんな危険なものを、安易に推奨する言い方は避けなければいけないと考えているのです。
それでも起こるのが失敗です。どんなに注意していても、それをあざ笑うかのように起こります。空気を読まず、望まない場所で、望まないタイミングでやって来るし、こちらの都合など一切お構いなしです。じつに厄介です。
失敗を“しゃぶりつくす”という心意気
そんな失敗にもよい部分があります。ちゃんと向き合うと、その人自身や社会を成長させるタネに出会える点です。なにかに挑戦しているときの失敗はとくにそうで、真摯に向き合うことで目の前の壁を乗り越えるヒントを得ることができます。これが失敗のよい部分であり魅力です。
不愉快で腹も立ちますが、失敗には壁を乗り越えて次のステップに進むためのヒントがあるのも確かなのです。そんなふうに失敗が創造的な活動をサポートするものとして活用できるところに注目し、あるときから徹底的に分析してみました。そして、避ける手段や効果的な活用方法なども導き出したりしながら、失敗について体系的にまとめたのが「失敗学」です。
これは痛みを伴う失敗をわざわざ経験するように動くことを勧めるものではありません。失敗は避けていてもどうせ起こります。それなら起こったときにはポジティブに扱って、学びやステップアップのチャンスとして徹底的にしゃぶりつくしてやろうというわけです。これが「失敗学」の基本的な考え方です。

