兵庫県朝来市にある竹田城は天空の城として人気だ。歴史評論家の香原斗志さんは「NHK大河『豊臣兄弟!』の主人公・秀長ゆかりの城だが、現在の石垣は彼が築いたものではない。竹田城のそばにある古城にある石垣は、秀長の痕跡をよく残している」という――。

秀長の時代の「竹田城」と現在の姿はまったく違う

織田信長(小栗旬)はいよいよ西国への侵攻を本格化させた。丹波(京都府中部と兵庫県北東部)と丹後(京都府北部)の攻略は、明智光秀(要潤)の担当とした。それより西方の毛利家が支配する領域は、秀吉(池松壮亮)と小一郎(仲野大賀、のちの秀長)の羽柴兄弟が受け持った。具体的には、播磨(兵庫県西部)を秀吉が攻略し、但馬(兵庫県北部)へは小一郎が兵を進めた。

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第21回「風雲!竹田城」(5月31日放送)では、小一郎が但馬の要所にある竹田城(兵庫県朝来市)を、総大将として軍を率いて攻略する様子が描かれる。

立雲峡から見た早朝の竹田城と雲海
立雲峡から見た早朝の竹田城と雲海(写真=abok/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

竹田城といえば、雲海の上に石垣が浮かんで見える「天空の城」として知名度が高まり、交通至便とはいいがたい地域にあって、しかも標高353メートルの山上に築かれているのに、多くの観光客を集めている。「東洋のマチュピチュ」の異名もある。

天正5年(1577)11月、秀吉が播磨に進軍すると、同時に秀長も別軍を率いて但馬に侵攻。但馬の守護代だった太田垣おおたがき輝延てるのぶが守る竹田城を攻略し、攻め落としたのちに秀長自身が竹田城代になっている。

すなわち「天空の城」は、まさに秀長ゆかりの城である。ただし――。現在、山上に築かれ、雲上に浮かんでいる写真で名高い広壮な石垣は、このときから8年後に城主になった赤松広秀が整備したもので、秀長の時代にはもっと簡素な城だった。

一方、あまり知られていないが、竹田城から直線距離で12キロほどの場所に、秀長が家臣の藤堂高虎と一緒に築いた城があって、こちらは往時の痕跡をとどめているのだ。