豊臣秀吉の大坂城はどんな城だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「現在の大阪城天守閣とは、外見も建てられた場所も異なる。残された史料を見るに、信長の安土城もおよばないほど金ピカに飾り立てられていた」という――。

秀吉の大坂城は地下に眠っている

大坂城はいまも、とくに大阪の人には「太閤さんのお城」として親しまれている。一般にも大坂城と豊臣秀吉のイメージは、切っても切り離せない。そんな城の「天守閣」の近くに2025年4月、「大坂城豊臣石垣館」なる施設がオープンした。施設の地下で見ることができるのは、豊臣時代の石垣である。

大阪城
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じつは、豊臣秀吉が築いた大坂城は地下に眠っていて、地上には痕跡さえ残っていない。慶長20年(1615)の大坂夏の陣で灰燼に帰したのち、地中に埋め尽くされてしまったためで、その一部が施設で見られるようになったのだ。

地下に眠る豊臣時代の石垣は、現在の大坂城の、一定程度加工され整然と積まれた石垣と、一目見てかなり違う。自然石がほとんど加工せずに積まれている(野面積み)。だが、戦後間もないころまで、現在目にする大坂城の石垣なども、豊臣時代のものがそれなりに使われていると思われていた。だから、昭和6年(1931)に建てられた現在の「大阪城天守閣」は、地上に積まれていた天守台の石垣に、豊臣時代の天守の姿を想像して建てられた。

ところが昭和30年代に、地下から野面積みの「謎の石垣」が発見されたのである。