NHK「豊臣兄弟!」では、織田信長が安土城を拠点に移し、物語が進んでいる。豪勢な城のもと、城下町は日々賑わいを増したとされるが、なぜその繁栄は途絶えてしまったのか。“本能寺の変”だけでは説明できない理由が見えてきた。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。

安土の城下町の発展は続かなかった

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、ここしばらく物語の舞台となっている安土城。いわずと知れた信長の居城である。織田信長(小栗旬)が琵琶湖畔に築いた絢爛豪華な城は、来たる本能寺の変までは物語の舞台として映えるはずだ。

織田信長像(部分)
織田信長像(部分)(写真=狩野宗秀画/長興寺蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

さて、その安土城であるが、今訪れると……愕然とするような風景が拡がっている。

城と共に必ず訪れる滋賀県立安土城考古博物館の展示は充実しているが、周囲に拡がるのは田園風景。最寄り駅であるJR線の安土駅前はレンタサイクルの店がいくつかある程度に過ぎない。今でこそ、史跡としての整備は進んでいる感じはするが、筆者が初めて訪れた1990年代は、もっと単に城跡のある田舎町という雰囲気が強かった。かつての安土町(現在は近江八幡市)の人口は1万人程度。「ヨーロッパにもこれほどのものは存在しない」と言わしめたのに、いまはちょっと寂しい。

本当に安土城が優れた立地であれば、信長が本能寺の変で横死した後も、引き続き支配者の拠点として利用され発展したはずである。現に、京都や大坂は幾度も支配者が入れ替わっても繁栄を続け、現在も大都市として継続している。では、なぜ安土の町は存続し発展することがなかったのか。

発展途上、栄える前に終わった

そもそも、安土城が豪奢な天守閣を持つ城だったこと。本能寺の変直後に謎の放火で炎上したことは、多くの人に知られている。一方で、城下町はどうだろうか? 信長が「楽市楽座」を命じたことは知られているが、それ以上のことはあまり知られていない。

実のところ、当時の宣教師・フロイスの記録では人口は5000〜6000人で日々賑わいを増していると描かれている城下町だが、江戸時代の城下町に比べると整備が進んだものではなかった。しばらく後の時代に羽柴秀次の居城として整備された近江八幡の城下町が武士と商人の居住地区分を実施するなど計画的な都市を目指していたのに比べると、そこまでの都市計画は進んでいなかったようだ(近藤滋「安土城下町の再考」『滋賀県安土城郭調査研究所研究紀要2003』)。

そこから見えてくるのは、信長の死によって安土城が拠点としての地位を失った時点で、城下町はまだ都市として自立していなかったという事実だ。いわば、発展途上の計画都市が、途中で工事を止めた。つまり「栄えた城下町が廃れた」のではなく「栄える前に終わった」という話である。では、なぜ安土の城下町は「栄える前に終わった」のか。単に信長が死んだからというだけでは説明が足りない。京都も大坂も、支配者が死に、政権が変わり、戦火に焼かれながらも都市として存続し続けた。安土との違いはどこにあったのか。