※本稿は、保阪正康、戸髙一成、大木毅『虚構の昭和史』(角川新書)の一部を再編集したものです。
戦後の小説に描かれた山本五十六
【戸髙】阿川弘之さんは小説家ですが、『山本五十六』などの提督三部作や『軍艦長門の生涯』においては、自分の思いや書きたいこと以前に、旧海軍についての後世に残すべきエピソードを、それこそ断簡零墨まで集めて、一繫がりにして清書した感があります。飛躍した創作部分は少なく、小説というよりは証言集に近い。
【保阪】吉村昭さんの『陸奥爆沈』(新潮社、1970年)や『戦艦武蔵』(新潮社、1966年)なども、創作部分を見分けるのが難しい。
【戸髙】吉村さんは阿川さんよりも一世代若いですね。たしかに硬質な文体で似たような雰囲気がありますが、私は吉村さんの方がもう少し作品性があると思っています。この違いは、実際の軍隊経験の有無から来ているのではないでしょうか。吉村さんは実体験として知らないからこそ、あえて自由に書ける部分があったと思います。
【大木】阿川さんの『山本五十六』は、最初に月刊誌『文芸朝日』(朝日新聞社)に連載されました。阿川さんのファンがなさったのでしょうか、その連載時の誌面を全部集めて製本したものが古書で出ましてね、思わず買ってしまいました。
それと、昭和40(1965)年に出た『山本五十六』の内容を比較してみると、採用されているエピソードがところどころ変わっています。『文芸朝日』掲載時に、取材も同時進行でやっていて、最後に本にするときに反映させたのでしょうね。
【保阪】取材すればするほど、「ああそうだったのか」という話がどんどん出てきますから。阿川さんが聞き回った頃は、現役の軍人がまだ皆元気でしたから、なおさら面白かったでしょう。「山本五十六」というテーマはそういう意味で、取材する阿川さんにとっては美味しい話でしたね。
阿川さんの前に『人間 山本五十六』(光和堂、1957年)という伝記を書いた反町栄一という人がいます。この人は山本五十六の地元の長岡の人です。当然、内容は「山本元帥礼賛」ですが、地元の人ならではの微笑ましいエピソードが多く出ていて、これもなかなかいい伝記です。
山本が見たのは退廃期のアメリカ
【戸髙】大正時代の後半に海軍兵学校を出た大井篤さんぐらいの年代の人、それからもう少し古い人たちの中には、「山本五十六は、今ではアメリカ通で通っているけれど、実はアメリカのことをあまり知らん」と厳しい評価をする人が結構いました。
それはなぜかと言うと、山本がアメリカに行ったのは、1920年代から30年代頭の「ギャング・エイジ」の時だけです。だから、ギャング(マフィア)のアル・カポネのような輩が跋扈し、クスリや酒に溺れる人が多い、禁酒法時代の公徳心が一番壊れていた時期のアメリカしか見ていないというわけです。「山本さんはこの時代のアメリカ人しか見ていないから、一撃を与えたらガタガタになると思ったのだろう」と言った人がいました。
私はそれを聞いた時に、外国通といわれる人は多くいるけれども、その人がどの時代のその国を見ているのかをチェックしないといけないな、と思ったものです。
