戦時中の国民的英雄であり、戦後も人気があった海軍大将・山本五十六。旧軍人の証言を聞き、昭和史を研究してきた保阪正康さん、戸髙一成さん、大木毅さんが「同時代の軍人に山本はどう評価されていたか」について座談会で検証した――。

※本稿は、保阪正康、戸髙一成、大木毅『虚構の昭和史』(角川新書)の一部を再編集したものです。

(左から)山本五十六大佐(駐米日本海軍武官)、米国海軍長官カーティス・D・ウィルバー、長谷川清大佐、エドワード・ウォルター・エーバーレ提督。1926年
(左から)山本五十六大佐(駐米日本海軍武官)、米国海軍長官カーティス・D・ウィルバー、長谷川清大佐、エドワード・ウォルター・エーバーレ提督。1926年(写真=米国海軍歴史センター/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

戦後の小説に描かれた山本五十六

山本五十六 1884〜1943年。元帥・海軍大将。海兵三二期。大正期にハーバード大学に留学し、在米日本大使館付武官に補せられる。航空本部長、海軍次官、連合艦隊司令長官など。太平洋戦争前半で連合艦隊を指揮するも、1943年4月、ソロモン上空で乗機を撃墜され戦死。国葬に付せられた。

【戸髙】阿川弘之さんは小説家ですが、『山本五十六』などの提督三部作や『軍艦長門の生涯』においては、自分の思いや書きたいこと以前に、旧海軍についての後世に残すべきエピソードを、それこそ断簡零墨だんかんれいぼくまで集めて、一繫ひとつながりにして清書した感があります。飛躍した創作部分は少なく、小説というよりは証言集に近い。

【保阪】吉村あきらさんの『陸奥むつ爆沈』(新潮社、1970年)や『戦艦武蔵むさし』(新潮社、1966年)なども、創作部分を見分けるのが難しい。

【戸髙】吉村さんは阿川さんよりも一世代若いですね。たしかに硬質な文体で似たような雰囲気がありますが、私は吉村さんの方がもう少し作品性があると思っています。この違いは、実際の軍隊経験の有無から来ているのではないでしょうか。吉村さんは実体験として知らないからこそ、あえて自由に書ける部分があったと思います。

【大木】阿川さんの『山本五十六』は、最初に月刊誌『文芸朝日』(朝日新聞社)に連載されました。阿川さんのファンがなさったのでしょうか、その連載時の誌面を全部集めて製本したものが古書で出ましてね、思わず買ってしまいました。

それと、昭和40(1965)年に出た『山本五十六』の内容を比較してみると、採用されているエピソードがところどころ変わっています。『文芸朝日』掲載時に、取材も同時進行でやっていて、最後に本にするときに反映させたのでしょうね。

【保阪】取材すればするほど、「ああそうだったのか」という話がどんどん出てきますから。阿川さんが聞き回った頃は、現役の軍人がまだ皆元気でしたから、なおさら面白かったでしょう。「山本五十六」というテーマはそういう意味で、取材する阿川さんにとっては美味しい話でしたね。

阿川さんの前に『人間 山本五十六』(光和堂、1957年)という伝記を書いた反町栄一そりまちえいいちという人がいます。この人は山本五十六の地元の長岡の人です。当然、内容は「山本元帥礼賛」ですが、地元の人ならではの微笑ほほえましいエピソードが多く出ていて、これもなかなかいい伝記です。

山本が見たのは退廃期のアメリカ

【戸髙】大正時代の後半に海軍兵学校を出た大井篤さんぐらいの年代の人、それからもう少し古い人たちの中には、「山本五十六は、今ではアメリカ通で通っているけれど、実はアメリカのことをあまり知らん」と厳しい評価をする人が結構いました。

それはなぜかと言うと、山本がアメリカに行ったのは、1920年代から30年代頭の「ギャング・エイジ」の時だけです。だから、ギャング(マフィア)のアル・カポネのようなやから跋扈ばっこし、クスリや酒に溺れる人が多い、禁酒法時代の公徳心が一番壊れていた時期のアメリカしか見ていないというわけです。「山本さんはこの時代のアメリカ人しか見ていないから、一撃を与えたらガタガタになると思ったのだろう」と言った人がいました。

私はそれを聞いた時に、外国通といわれる人は多くいるけれども、その人がどの時代のその国を見ているのかをチェックしないといけないな、と思ったものです。