2026年8月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りします。大河ドラマ部門の第2位は――。
▼第1位 柴田勝家を裏切ったのに"豊臣の大黒柱"に…秀吉に頼られ、家康より人望を集めた"賤ヶ岳の敗者"の名前
▼第2位 信長を支える四天王の一人だったのに…秀吉にハメられて「清須会議」に出席できなかった武将の哀れな末路
▼第3位 越前・北庄城49万石の大名→2000石の旗本に…秀吉に滅ぼされ、家康に拾われた「柴田勝家の子孫」のその後
「清須会議」に出席した4人の武将への違和感
明智光秀(要潤)が討たれて2週間ほど経った天正10年(1582)6月27日、織田政権のあらたな枠組みを決め、信長(小栗旬)と信忠(小関裕太)父子、および光秀亡き後の領地を再配分するために、清洲城(愛知県清須市)で清須会議が開かれた。その模様がNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第30回「清須会議」(8月9日放送)で描かれる。
この時点では、信長の後継者であった信忠の嫡男、三法師が織田家の後継者になる、ということは決まっていた。しかし、天正8年(1580)に生まれたばかりでまだ数え3歳にすぎない。当然ながら成人するまでのあいだ、だれかが名代(家督の代行者)を務めるしかない。それには、信長の次男の信雄(山脇辰哉)か三男の信孝(結木滉星)のどちらかが就くのが順当なところだった。
ところが、信忠の同母弟で、嫡系に準じる立場であることを強調する信雄と、光秀討伐軍の総大将を務めた功績を主張する信孝が、ともに一歩も譲らない。兄弟が争っている現実がある以上、どちらを名代にしても、しこりが残って後日、紛争が起きかねない。そこで信雄と信孝を名代にせず、織田家の宿老(古参の重臣)たちによる合議で政権を運営することになった。
第30回「清須会議」では、会議の前日に羽柴秀吉(池松壮亮)が、信雄と信孝は抜きにして、秀吉のほか柴田勝家(山口馬木也)、丹羽長秀(池田鉄洋)、池田恒興(堀井新太)の4人による話し合いで政権を運営してはどうか、と提案する。で、実際、そのように決まるのだが、それまでの織田家の体制を考えると、この4人の顔ぶれには違和感を禁じ得ないのである。

