※本稿は、保阪正康、戸髙一成、大木毅『虚構の昭和史』(角川新書)の一部を再編集したものです。
なぜ阿川は小説を書き直したのか
山本五十六 1884〜1943年。元帥・海軍大将。海兵三二期。航空本部長、海軍次官、連合艦隊司令長官など。太平洋戦争前半で連合艦隊を指揮するも、1943年4月、ソロモン上空で乗機を撃墜され戦死。国葬に付せられた。
【保阪】ベストセラーになるほど内容が読者に支持されている本を書いたのに、(編集部註:小説『山本五十六』の初版が絶版になるとは)作家としての阿川弘之さんは本当に不本意だったでしょうね。
【大木】当時は、海軍出身者の影響力が、今とは格段に違っていたこともあるでしょうね。千早正隆さんや大井篤さんたちは、著者としてもご意見番としても多くの出版社に大事にされていましたし、他のみなさんの言論活動も目立っていました。
阿川さんの御本の主たる版元である新潮社も、海軍OBの方を立てていたでしょう。阿川さんご本人も、それに逆らうようなことはできなかったと思います。
【戸髙】経済界には旧海軍で佐官クラスだった人たちが、社長や役員として現職で数多くいました。政治家・役人社会でも海軍経験者がけっこうな身分になっていたはずです。海軍主計少佐だった中曽根康弘さんは内閣総理大臣になりましたし、同じく短期現役士官だった鳩山威一郎さんのように外務大臣を務めた人もいました。しかし、彼らにしても保科善四郎さんたちから見れば「若いのが頑張っている」といった扱いでしたから。
そのような時代環境ですから、山本五十六のような象徴的人物に傷を付けることを書くというのは、単にまずいという以上の社会的な影響力を持っていたのでしょう。
敗戦後も強い海軍OBの影響力
【保阪】300枚も書き足して大改造をしてでも「新版」を出そうという決着になったのは、海軍OBたちとしては海軍人気が復活し、よいイメージが拡大している流れを止めてしまいたくない、ということもあったと思います。
【戸髙】結局、『山本五十六』の商品性がそれだけ高かったということでしょうね。しかし、一番の理由は、やはり作品としての素晴らしさだったと思います。
【大木】悲運の戦死を遂げたことが、おおいにプラスになっていることもありましょう。山本五十六を書いた本は、戦争中から非常に多く出ていました。子供向けの伝記まで出ていましたから。
【戸髙】私は山本の伝記だけで40種類ぐらい持っていますよ。それこそ戦前から戦後を通してずっとスターですから。戦後も、阿川さん以前にも数多く出ています。
悲運なヒーローとしての大衆人気
【大木】戦後は、反町栄一の『人間 山本五十六』(光和堂、1957年)が出て、偉人山本五十六の像を決定づけた。映画も、阿川さんの本が出る以前に、大河内傳次郎が山本を演じた『太平洋の鷲』(東宝、1953年)があります。「阿川五十六」がもとになったと思われる『連合艦隊司令長官 山本五十六』(東宝、1968年)では三船敏郎が主役になっています。やはり、山本五十六は一種のサブカルチャー的なヒーローでもあったわけです。
しかも、歌舞伎のように大向こう受けするストーリーもできている。亡国を招きかねない三国同盟に命がけで反対して、日米開戦にも反対したけれども、心ならずもそれを指揮するはめになって、悲運の最期をとげる。
【保阪】それはまあ事実ではありますが、それを拡声器でアナウンスするシナリオができていたということですね。
【大木】阿川さんの作品でそういう像が固まったのでは必ずしもなく、戦後すぐからあったわけです。
