歴史上の失敗から学べることは何か。毛沢東は「大躍進政策」の一端として、自身の哲学に合う「学説」に基づく農業開発を推し進めた結果、人類史上最大級の飢饉を招いてしまったという。英作家のマシュー・サイドさんが書いた失敗の科学 成長する組織の条件』より、紹介する――。
※本稿は、マシュー・サイド『失敗の科学 成長する組織の条件』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。
遺伝学に異議を唱えるという大きな賭け
トロフィム・ルイセンコは、黒い髪にエネルギッシュな目をした生物学者だ。旧ソビエト連邦西部の農家出身で、1920年代に作物の収穫量を増やす新たな農法を考案し、共産主義革命の政治指導者たちから非常に目をかけられた(※1)。
実を言うと、肝心の農法に実際の効果はほぼなかったのだが、野心旺盛なルイセンコは処世術に長けていた。出世の階段を着々と上り、1934年にはロシアの最高学術機関の一部である、レーニン記念全ソ農業科学アカデミーの会員に認定された。
そしてこの年、彼は大きな賭けに出る。20世紀初頭、黎明期にあった「メンデルの法則」に端を発する遺伝学に異議を唱えたのだ。
メンデルは「生物の形質は細胞中の遺伝子によって決まり、それが特定の法則に従って次世代に伝わる」という法則を無数の交配実験を経て統計学的に導き出していた。しかし、ルイセンコは、この新たな法則と、ともに生まれた遺伝学の潮流を真っ向から否定したのである。
※1 ルイセンコの一件は多数の記事や書籍になっている。代表的なものは以下。Valery N. Soyfer ,Lysenko and the Tragedy of Soviet Science (Rutgers University Press, 2006); Nils Roll-Hansen,The Lysenko Effect: The Politics of Science (Prometheus Books, 2004).

