NHK「豊臣兄弟!」では、秀吉(池松壮亮)を支える側近として、蜂須賀正勝(高橋努)の歯に衣着せぬ物言いが描かれた。だが、小六の名で知られるこの人物には盗賊説がつきまとってきた。このイメージはどこから生まれ、なぜ根付いたのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に迫る――。
月岡芳年作『美談武者八景 矢矧の落雁』
日吉丸(豊臣秀吉)と蜂須賀小六(正勝)の矢矧橋での出会いを描いた月岡芳年作『美談武者八景 矢矧の落雁』(画像=立花左近/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

最古参・蜂須賀正勝の“最大の見せ場”

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。第36回(9月20日放送)では、秀吉(池松壮亮)と共に歩んできた蜂須賀正勝(高橋努)が歯に衣着せぬ言葉で、“もはやお前は変わってしまった”と言わんばかりに語りかけるシーンが話題となった。史実では、四国攻めでは既に隠居の身であった正勝は戦勝の暁には阿波一国を与えるといわれるも辞退。子の家政に与えることを熱望した(正勝は目付として参陣)。

長宗我部氏の降伏後、その願いは叶えられたが、これを見届けるかのように天正14(1586)年5月に正勝は61歳で死去している。

だから、第36回は、今回のドラマでは脇に廻っている感のあった正勝の最大の見せ場だったといえるだろう。

さて、この正勝は通称の小六としてのほうがよく知られる人物。かつての一般的な描かれ方は盗賊の類いとしてであった。

秀吉との出会いは、秀吉が矢作橋の欄干にもたれ掛かって寝ていたところを、手下を連れて通りがかった野武士の小六と出会うというものである。例えば、矢田挿雲が大正末から昭和初期にかけて新聞連載した長編小説『太閤記』には、こう書かれている。

江戸時代には定着していた“盗賊イメージ”

蜂須賀小六正勝は、其の頃二十五歳の男盛りであった。戦国のどさくさにまぎれ、遠近の野武士を語らい、数百人の団結をつくり、軍いくさのある時は軍を請負い、軍のない時は山野に出没して、旅人の財布を巻上げたり、富豪の家に押しかけて軍用金を徴発したり、名の正しきと正しからざるとに頓着なく、何事も力ずくてらちをあけることを業とした(河出書房編『日本国民文学全集』別巻第12 河出書房、1956年所収)。

単なる泥棒どころではない暴力集団である。

こうした正勝の出自を野武士、夜盗の類いとする説は既に江戸時代には定着していた。江戸時代には武内確斎が文を書き岡田玉山が挿絵を入れた『絵本太閤記』(1797〜1802年刊)が人気となったが、ここではこう記されている。

(蜂須賀小六正勝は)近隣の野武士をかたらひ東国街道に徘徊し落武者の武具を剥取り人家に押入財宝を奪う其手下に属するもの一千余人勢近国に震ひける。(『絵本太閤記』1 国書刊行会、1917年)