貧しい身分から出世し天下統一を果たした豊臣秀吉とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「人権の侵害および蹂躙を繰り返す残酷な男だった。自身の貧しい生まれへの強烈なコンプレックスが、そうした行動の原因だろう」という――。
豊臣秀吉画像
豊臣秀吉画像(写真=名古屋市秀吉清正記念館蔵/PD-Japan/Wikimedia Commons

教科書では描かれない豊臣秀吉の裏の顔

手もとにある山川出版社の高校用教科書『詳説日本史』(2006年文部科学省検定済、2011年発行)を開き、豊臣秀吉についてどう書かれているかを確認すると、核になる説明は以下のとおりだった。

「秀吉は、信長の後継者としての道を歩みながらも、軍事征服のみにたよらず、1588(天正16)年京都に新築した聚楽第に後陽成天皇をむかえて歓待し、その機会に、諸大名に天皇と秀吉への忠誠を誓わせるなど伝統的支配権を巧みに利用して新しい統一国家をつくりあげた」

秀吉が平和な世の中を巧みに築いたかのようなこの説明は、まちがっているとはいえない。統一国家をつくるにあたり、秀吉が「軍事征服のみにたよら」なかったのはたしかである。ただ、「伝統的支配権を巧みに利用する」だけでなく、平和的な手段とは到底いえない、人権の侵害および蹂躙を繰り返したことも忘れてはならない。

現在放送中のNHK大河ではとうてい描けない秀吉にまつわるとんでもないエピソードは、直接交流があったイエズス会のポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスの著作『日本史』(松田毅一・川崎桃太訳)にも数々書かれている。以下、それをいくつか引用したい。

暴力と弾圧にとって天下をとった

最初に総論的な人物像である。

「この人物(関白秀吉)がきわめて陰鬱いんうつで下賤な家から身を起し、わずかの歳月のうちに突如日本人最高の名誉と栄誉を獲得したことは、途方もない異常事に外ならず、日本人すべてを大いに驚愕きょうがくさせずにはおかなかった。彼が、身分、権勢、名誉および財産においてかつて家臣として奉仕した前任者(織田信長)を凌駕していることは事実が明白に物語るところである」

「ただしそれらは、ヨーロッパのカトリック王侯たちが我らに示すような公平で正当な手段によって獲得されたものではない。彼は極度に恐れられ、人々に文字どおり臣従されてはいるが、それは暴力と弾圧によるのである。彼は己れに服している日本の君侯らを、その出身地や領国から移動せしめ、自らの欲する諸国は横領し、その他、諸侯の意に大いに反することであったが、その所領を互いに交換せしめた」

臣従させては弾圧し、屈服させたら横領する。その繰り返しだったというのだ。別の箇所には、その容姿もふくめてこう書かれている。