世界一謎に満ちた本、ヴォイニッチ写本をご存じだろうか。1912年に アメリカ人のウィルフリッド・ヴォイニッチ氏が発見した古書だ。そこには何が書かれているのか。慶應義塾大学の安形麻理教授と亜細亜大学の安形輝教授による共著『ヴォイニッチ写本』(星海社新書)より、一部を紹介する――。

100年以上研究者を悩ませ続ける「奇書」

ヴォイニッチ写本(The Voynich Manuscript)と聞いて、ピンとくる読者は多くはないだろう。ご存じだという方は、オカルト系のウェブサイトやテレビ番組経由だろうか(筆者らはこのパターンである)。

児童書やライトノベルに「禁断の書」アイテムとして登場した気がするという方も、曲のタイトルとして聞き覚えがある方もいるだろう。

世界の奇書を紹介する本や、クラスタリングを援用した研究についての著者らのインタビュー、あるいは言語学や暗号解読に関する論文をご覧になった方もあるかもしれない。

実にオカルトから言語学まで、サブカルチャーから学術研究まで、幅広い分野で取り上げられている写本で、現在はアメリカの名門イエール大学バイネッケ図書館に所蔵されている(請求記号 Beinecke MS 408)。

写本部門長レイモンド・クレメンス博士によると、貴重な資料を数多く所蔵し世界中の研究者が日参するこの図書館において、最も閲覧希望数が多いのがヴォイニッチ写本だという。では、この写本の何がそれほど特別なのだろうか。

「世界で最も謎に満ちた写本」

ヴォイニッチ写本はタイトルも著者も不明で、使われている文字は発見から100年以上経った今も解読されていないことから、「世界で最も謎に満ちた写本」と呼ばれている。

ソーホースクエアで本に囲まれたヴォイニッチ氏
ソーホースクエアで本に囲まれたヴォイニッチ氏(撮影者不明/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

一部を「解読」できたとする報告は珍しくないが、首尾一貫した解読結果を示すことができたものはない。これまでの主要な解読の試みは第2章で紹介する。

新たな解読の成功が発表されるのは、学術雑誌から新聞、YouTubeとさまざまだ。試しにウェブ検索エンジンに「ヴォイニッチ写本 解読」と入れて検索すると、そうした世界中の報告が日本にもすぐに紹介されていることがわかるだろう。

写本というとオリジナルを写したコピーのように聞こえるかもしれないが、印刷本(刊本)ではなく、手で書いた(書写した)本という意味である。制作技法を示す言葉であり、オリジナルでもコピーでも、手書きならば写本と呼ぶ。

ヴォイニッチ写本は、もともと1冊だけ作られたオリジナルだと考えられている。写本と似た言葉に、著者本人が手で書いた原稿(つまり写本)を意味する手稿という言葉があり、ヴォイニッチ手稿と呼ぶこともある。

ただし、著者本人が書いたかどうかは不明であるので、本書では「ヴォイニッチ写本」と呼ぶ。