日本の研究力低下が問題視されている。原因はどこにあるのか。社会学者の橋爪大三郎さんは「教育改革が進まない元凶は文科省にある。そもそも国が大学を設置し、国が教育を管理するという考え方は先進国と真逆の発想だ」という――。

※本稿は、橋爪大三郎『上司がAIになりました 10年後の世界が見える未来社会学』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

文部科学省
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文科省はいらない

日本の教育は、硬直している。柔軟な改革が進まない。

その元凶は、文部科学省(旧文部省)である。

文科省は、日本中の学校を管理している(同じ教育機関でも、塾や予備校は、学校教育法上の学校ではないので、経済産業省の所管になっている)。さまざまな省令や通達で、現場をがんじがらめにしている。そのやり方をみると、教育のことをまるでわかっていない役人のやり方だと思わざるをえない。

日本の大学はその昔、文部省が設置した。小中高校も、文部省が設置した。文科省は、教育は国が仕切るものだと思っている。

大学はそもそも、国が設置するものではない。大学の起こりは国よりずっと古い。ヨーロッパの大学は、法学や神学や医学や……の教員のギルド(組合)だった。アメリカでは、ハーバードもイェールもプリンストンもコロンビアも……、牧師養成の神学校から始まっている。教会の信徒が資金を持ち寄ってつくった。大学が牧師や政治家や指導者を育て、彼らが国(合衆国)をつくった。順序が逆なのだ。

国が大学を管理するのは後進国の特徴

だからアメリカの大学は、ほとんどが私立大学だ(あと、ほんの少し、州立大学がある)。国は、大学を管理したりしない。大学は、財政的に自立し、自分で自分を管理している。連邦政府は何も口を出さない。文科省「高等教育局」みたいなものは存在しない。それでも、いや、それだからこそ、うまく行っている。

大学を国が設置し、国が管理するのは、大学など存在しなかった後進国の特徴である。日本がそうだ。

中国では、儒学を教える書院や、西洋風の教育をする学堂が、多く存在していた。中華人民共和国が成立すると、学校はすべて国が管理することになった。

こういうやり方を、当然だと考えてはいけない。