発見以来、世界中の研究者を悩ませた
さらに、羊皮紙に元々空いている穴や装丁までも忠実に再現した写真複製本(高精細ファクシミリ版)も出版されたが、こちらは高価でなかなか入手できるものではない。国内では慶應義塾大学図書館に所蔵がある。
また、有志によって、ヴォイニッチ文字を一定の規則に基づきアルファベットに置き換えた全文の翻字(翻刻)テキストデータが作成され、ウェブ上で公開されている。こうすると、読めないままでもテキストデータとして扱うことができるので、コンピュータを使った分析が可能になる。
発見以来、数々の解読の試みがなされ、うまくいかないことが確認されたものも多いので、同じ轍を踏むことは避けたい。
幸い、2004年までの研究状況はヴォイニッチの子孫が著した『ヴォイニッチ写本の謎』にわかりやすくまとめられており、すでに何が検討され、どこまでわかっているのか、どのような説は退けられたのかという研究の現状を把握できる。本書の記述もこうした先行研究に大いに拠っている。
ヴォイニッチによる贋作なのか
ヴォイニッチ写本は解読を拒み続ける奇妙な本であり、発見の経緯の説明があやふやであったことから、発見当初から発見者ヴォイニッチが贋作を作った、あるいは贋作に騙されたのだという説がささやかれていた。
実際、ヴォイニッチは稀覯書取引を始めた頃には「スペインの贋作者(Spanish forger)」と呼ばれる有名な写本贋作者に騙された前科があるが、それは大英博物館の専門家たちの目も騙されるほどの出来栄えの偽物であったので、無理もないかもしれない。真贋論争があるということも、かえって魅力の一つといえるだろう。偽物や贋作は奇妙に人を惹きつける。
偽物の研究に意味があるのかと不思議に思われるかもしれないが、贋作作成のためには周到な準備がなされるし、他方では、それを暴くための綿密な調査が新たな方法論や分析手法につながることもある。
フェイクというと現代の専売特許と思う向きもあるかもしれないが、偽書の歴史は古い。権力の正当化、政治的意図、金銭欲、名誉欲、現存資料の穴を埋めたいという歪んだ研究者魂、行き過ぎたファン心など、さまざまな動機から偽書が作成されてきた。
古文書学の先駆者といわれるフランスのジャン・マビヨンが1681年に『古文書学』を出版し、文書が書かれた支持体の材質、書体、記述様式、暦などの要素を綿密に調査する方法論を示したのも、古文書の真贋鑑定を行うためであった。