発達障害を抱える親のなかには、悪意なく子どもを危険な状態に追いこんでしまう人がいる。国際医療福祉大学の橋本和明教授は「私が関わった40代の父親は、反抗的な態度の息子の顔面を殴り、その顔を撮影した写真を見せしめのように部屋に貼っていた。暴力を振るったこと自体は反省していたものの、それ以外のことについてはまったく罪悪感を持っていなかった」という――。(第4回)

※本稿は、橋本和明『子どもをうまく愛せない親たち 発達障害のある親の子育て支援の現場から』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

子供の虐待の概念
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わが子を“特別扱い”しなければ子育てはできないが…

認知バイアスの一つとして、自己メタ認知能力が備わっていないと社会では適応が難しくなり、それが子育てにおいても顕著に現れる。

これから取り上げたいことは、自分に対する認知ではなく、まさに子どもそのものへの認知バイアスについてである。確かに、いろいろな子育ての光景を見ると、親がわが子を主観を交えずに、実に客観的に捉えているというのは少ないかもしれない。

「色眼鏡で見る」という言葉があるように、よその子とは区別してわが子を特別扱いしたり、親としての思い入れや大きな期待を寄せたりするのもわからなくもない。ある意味ではそれがなければむしろ子育てはできないし、いわば当然のことかもしれない。しかし、それがあまりにも度を越してしまうと、そこには不適切なかかわりや養育の問題が発生してしまう。

たとえて言うならば、多少の色つきのレンズで見るのはやむをえないことだが、見る対象の姿が変わって映ったり、景色そのものが変わったりするほどの極端な度付きサングラスをかけるとなると、世界が大きく違って見えてしまうのである。