老後資金に不安を感じる人が多い。立命館大学准教授の戸谷洋志さんは「老後に困窮するのは計画的に貯蓄や投資をしておかなかった本人の責任だ、という風潮があるが、このような自己責任論が本当の問題を包み隠してしまっている」という――。

※本稿は、戸谷洋志『自己責任とかないから』(宝島社)の一部を再編集したものです。

コインスタックと年配カップルの模型
写真=iStock.com/Pla2na
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努力しなかった人は報われない?

何かトラブルが起きたときに、人々が口にしがちな言葉があります。それは、「本人の自己責任だ」というものです。

失業して生活が苦しくなった人に対して、「もっと早く資格を取っておくべきだったのではないか」。過重労働で心身を壊した人に対して、「無理だと思った時点で辞めればよかったのに」。人間関係で深く傷ついた人に対してさえ、「相手を見る目がなかったのだからあなたにも責任がある」と言われることがあります。こうした自己責任論を、人に押しつけられた経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

自己責任論は、個人の自立や自由が重視される現代社会において、非常に受け入れられやすい考え方です。自分で選んだのなら、その結果も自分で引き受けるべきだ。努力した人が報われ、努力しなかった人が報われないのは当然だ。誰かの失敗を他人が肩代わりするのは不公平だ。こうした見方には、もっともらしい「正しさ」が感じられます。

「自己責任」で隠される問題がある

自己責任論がここまで強く働くのは、それが人々の内面に深く入り込んでいるからです。問題が個人の失敗として理解されるほど、社会はそのままで済みます。本来であれば見直されるべき制度や環境の問題も、「個人の努力」で処理されてしまうのです。

また、他者を評価するときだけではなく、自分自身を評価するときにも、自己責任論は影響を及ぼしています。問題が起きたときに、本当は環境や制度に問題があったとしても、まず「自分に原因がある」と必要以上に自分を責めてしまう――そうした経験に、心当たりがある人も少なくないはずです。

自己責任論は単なる道徳的スローガンではありません。人々を社会から切り離し、孤立した個人が助けを求めにくくなる力を持っているのです。

もちろん、何でも社会や制度のせいにすればよいわけではありません。問題なのは、「個人に責任があるか」という問いだけが強調され、他の問いが置き去りにされてしまうことです。

なぜその選択しかできなかったのか。なぜ支援がなかったのか。なぜ失敗を支える仕組みがなかったのか。こうした問いが立てられる前に、「自己責任」という言葉で片づけられてしまい、問題の本当の原因に目が向けられなくなってしまいます。