織田信長の死後起きた権力争いに、秀吉はどのようにして勝ち残ったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「早いうちから柴田勝家が自分の前に立ちはだかる最大の難敵と認識し、工作を始めたからだ。勝家はまんまとその策にハマってしまった」という――。
重要文化財 狩野光信《豊臣秀吉像》(部分)。慶長3年(1598)賛 京都・高台寺蔵
重要文化財 狩野光信《豊臣秀吉像》(部分)。慶長3年(1598)賛 京都・高台寺蔵(写真=大阪市立美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

清須会議で露呈した秀吉の野望

羽柴秀吉(池松壮亮)は弟の小一郎(仲野太賀、のちの羽柴秀長)に、こっそりと打ち明けた。「これはわしらだけの秘め事じゃ。信雄様でもない、信孝様でもない。このわしが上様の思いを継ぐ」。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第30回「清須会議」(7月26日放送)。

この「決意」の反映、ということだろう。第30回「清須会議」(8月9日放送)では、信長(小栗旬)と嫡男の信忠(小関裕太)亡きあとの織田家の体制と、主がいなくなった領地の配分を決める清須会議を前にして、秀吉は周囲が意表を突く提案をする。

信長の次男の信雄(山脇辰哉)と三男の信孝(結木滉星)を抜きにして、秀吉自身と柴田勝家(山口馬木也)、丹羽長秀(池田鉄洋)、池田恒興(堀井新太)の4人が話し合う、というものだ。信忠の孫で、信長の嫡孫である三法師を織田家の後継者とし、まだ数え歳で3歳の三法師が成長するまで、この4人で支える、というのである。信長の妹の市(宮﨑あおい)を勝家が娶る、という提案も加わった。

実際、天正10年(1582)6月27日に行われた清須会議では、三法師を織田家の後継者と定めたうえで、それぞれが自分の優勢を主張して引かない信雄と信孝を外し、上記の織田家宿老4人の合議制で政権を運営することに決まった。この時点で秀吉が、織田政権を簒奪する決意を固めていたことを示す史料はないが、情勢からして、野望が芽生えていたことはまちがいないだろう。