本能寺の変で、織田信長と長男・信忠が討たれた。信長の他の息子たちはどんな運命をたどったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「当時は信孝が信長の後継になると見られていたようだ。だが、優秀がゆえに秀吉と対立してしまった」という――。
太平記拾遺 神戸侍従信孝(落合芳幾作)
太平記拾遺 神戸侍従信孝(落合芳幾作)(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

信忠が討たれても信孝がいたのだが

織田信長(小栗旬)が三男の信孝(結木滉星)に、長宗我部元親(磯部寛之)が勢力を伸ばす四国への総攻撃を命じたのは、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第27回「本能寺の変」(7月12日放送)でのことだった。

だが、いざ渡海する前日、信長と嫡男、つまり信孝の長兄の信忠(小関裕太)は、明智光秀(要潤)配下の軍勢に討たれてしまう。四国総攻撃が取りやめになったのはいうまでもない。

第29回「天下への道」(7月26日放送)では、信孝は光秀を討伐する軍の総大将にかつがれ、備中高松城(岡山県北区)から「中国大返し」を達成した羽柴秀吉(池松壮亮)らとともに、山崎(京都府大山崎町から大阪府島本町、京都府長岡京市の一帯)の地で明智軍と激突することになる。

明智光秀の謀反が周到に準備されていたことは、信長と信忠がともに少ない供回りで京都に宿泊し、2人を同時に討てるタイミングをねらったことからもわかる。たとえ信長を殺すことができても、すでに織田家の家督を継ぎ、信長の後継者としての経験を着実に重ねていた信忠が生きていれば、織田家の体制が維持され、謀反は失敗に終わる。だから、是が非でも信忠を同時に討つ必要があった。

とはいえ、信長には多くの息子がいた(一説には11人とも)。そのなかで次男の信雄と信孝は、織田家で重要な役割を果たし、彼らが信長の跡を継いでも不思議ではなかった。とりわけ信孝は、各方面から評価が高かったのだが、結果をみれば、あまりにも悲運だった。