中道の大失敗は有権者を呆れさせた
中道改革連合が事実上の解体に追い込まれた。解体の手続きに関するさまざまなゴタゴタが、どれほど有権者をあきれさせたかは、想像に難くない。ほとんどの所属議員が、せっかく創設した新党を半年あまりで見捨てて離党したことも、「残務整理のため」として中道に1人だけ議員を残したことも、一般の有権者には「目指したことを簡単に捨てるのか」「全員で行うべき残務整理を1人に押し付けるのか」としか見えなかっただろう。
中道のゴタゴタが有権者に「結局は選挙目当ての合従連衡だった」と受け止められることで、その政治理念(「包摂社会」を掲げた同党の綱領の内容は高く評価できるものだった)さえ色あせてしまうことが、筆者は残念でならない。
ゴタゴタの中で最も有権者にわかりにくいのが、政党としての「中道」を解体したのに、国会では統一会派を組む」ということだと思う。
政党としての「中道」の解体に伴い、同党の離党者は立憲出身者と公明出身者による二つの政党に分裂したが、この2党は衆院で統一会派「中道」を結成し、国会では同一行動をとる。分裂によって野党第1党の座を国民民主党に奪われるのを避けたい、国会での主導権を手放したくない、ということなのだろう(ならばどうして分裂するのか、訳がわからないが)。
与党時代を忘れられない元公明議員らの「失策」
しかし、先の特別国会で中道は、国論を二分する法案でたびたび与党寄りの態度を見せ、結果として国会での存在感を失った。
7月22日公開の記事「たった6時間の審議で『愛子天皇』の可能性はゼロに…高市政権の横暴をみすみす許した『中道改革』のだらしなさ」でも指摘したが、公明出身者は「自民党に働きかけて政策を一部修正させる」という長年の与党体験が抜けきれず、野党として政権と対決する「構え」が十分にできていなかった。
もともと野党だった立憲出身者は、合流後の公明出身者に野党としてのあり方を理解してもらう役割があったはずだが、彼らは彼らで、自らに向けられた「野党は批判ばかり」という古臭い批判に萎縮し、逆に公明党の与党的な動きに引きずられた。中道は、立憲と公明の間を取ったように「ゆ党」化してしまった。
そして今回の中道解体劇が、参院の立憲民主党との合流の失敗から始まったことを考えれば、統一会派「中道」は、政権に働きかけて修正を勝ち取るという公明党的な動きを、さらに強める可能性がある。そうなれば、統一会派「中道」は、形の上では野党第1会派であっても、臨時国会でさらに存在感を失い、野党の中核として認知されることも難しくなるかもしれない。

