※本稿は、出口剛司『なぜ私たちはいつも時間に追われるのか』(SB新書)の一部を再編集したものです。
便利になったのに忙しさが増した理由
2020年、全世界を襲ったパンデミック。
新型コロナウイルスの流行は、私たちの生活様式を大きく変えました。コロナ禍によって、私たちの社会は完全に機能停止に陥ったと言われます。ですが一方で、コロナ禍は予期せぬ結果として、私たちの働き方をいっそう「効率化」させることに一役買ったことは間違いありません。
コロナ禍の期間、オンライン授業や在宅勤務が普及し、生活に時間的なゆとりができたとされます。いわゆる「おうち時間」も推奨されました。しかしこれは本当でしょうか。私個人はむしろ、コロナ禍の期間はそれ以前に比べてずっと忙しかったような気がします。
コロナ禍は個人の生活に新たな加速体験をもたらし、その後の社会に加速に対する免疫あるいは耐性のようなものを植えつけたのではないか、と思うのです。コロナ禍における3つの加速領域を振り返ってみましょう。最初に技術的加速です。
コロナ禍では、Zoomをはじめとする新しいコミュニケーション・ツールと関連アプリが瞬く間に普及しました。最初はZoomが主でしたが、大学や学内の部局によってはMicrosoft TeamsやGoogle Meetなど、他のアプリを採用するところもありました。
新しい業務ツールの使い方に追われる
おそらくコロナ禍が存在しなければ、今のように大学教員が自由にZoomを使いこなす日など、数十年先まで来ることはなかったでしょう。それだけでも、コロナ禍が情報テクノロジーの進化と普及に大きな役割を果たしたことは間違いありません。
しかし、会議アプリを導入するだけでは、オンライン授業や各種委員会は成立しません。授業や会議をスムーズに進行するために、出席や小テスト、投票システムなど、さまざまな機能を順次追加する必要があります。こうして、多種多様なテクノロジーが次から次へと投入されました。
続いて社会変動の加速です。パンデミックという事態に直面すると、これまでの集団や組織が従ってきたやり方や仕組みでは、うまくいかないことがたくさん出てきます。

