ホンダの小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」の生みの親、藤野道格氏が、2026年9月に日本人初となるJ.C.ハンサカー航空工学賞の受賞者に選ばれた。しかし、その設計はかつて上司から「クビだ」と酷評され、研究計画の打ち切りや「事業化しない」という通告も経験している。ホンダジェットはなぜ世界が認める飛行機になれたのか。海外メディアの報道から、約30年に及ぶ開発秘話をたどる――。
2018年6月6日、東京都内で記者会見を行うホンダ・エアクラフト・カンパニーの藤野貴成社長兼CEO
写真=EPA/時事通信フォト
2018年6月6日、東京都内で記者会見を行うホンダ・エアクラフト・カンパニーの藤野貴成社長兼CEO。ホンダ・エアクラフト・カンパニーは、海外での「ホンダジェット」納入実績を踏まえ、丸紅エアロスペースに販売を委託する形で日本市場へ参入すると発表した。

世界が認めたホンダジェットの斬新な設計

全米工学アカデミー(NAE)は2026年9月8日、ホンダジェットの生みの親である藤野道格氏を、J・C・ハンサカー航空工学賞の受賞者に選んだと発表した。航空工学の分野で優れた業績を上げた人に贈られる賞で、授賞式は10月4日、ワシントンで開かれた。

同アカデミーは、藤野氏の功績として、エンジンを主翼の上に載せる配置において最適な位置を見つけ出し、実証したことを挙げている。空気抵抗を減らし、燃費を高め、客室の騒音を抑え、室内を広げる航空技術の革新だと称える。

2024年には、ライト兄弟のオーヴィル・ライトが最初の受賞者となった賞、ダニエル・グッゲンハイム・メダルも授与された。ホンダによると、日本人の受賞は藤野氏が初めてだったという。

だが、世界に認められたその設計は、かつて社内で酷評された。航空機の研究計画は一度打ち切られ、機体が世に出るまでには約30年を要している。

「こんな馬鹿な技術者は見たことがない」

ホンダジェットを、ほかの機体と見間違えることはないだろう。主翼の上面から支柱が伸び、その先にエンジンが載っている。

小型ビジネスジェットのエンジンは、ふつうなら胴体後部の左右に取り付けられる。翼の上に載せると空気抵抗が増え、揚力が減るからだ。開発当時の常識では、ありえない配置だった。

社内でも、この案は大いに物議を醸し、受け入れられなかった。ある会議の席上、上司は藤野氏にこう言い放ったという。

「こんな馬鹿な技術者は見たことがない。クビだ」

藤野氏本人が、米ビジネスジェット専門誌の『ビジネス・ジェット・トラベラー』に明かした逸話だ。藤野氏は落ち込み、数日出社しなかった。東京の街を歩き回っても、頭に浮かぶのは自分の設計のことばかり。信じた発想からは逃げられないと悟った藤野氏は、賛同する数人の技術者とともに、ひそかに検証を始める。

そもそもこの独特なエンジンの配置を着想するまでに、藤野氏は長い回り道をしている。

1984年に東京大学の工学部航空学科を卒業したものの、当時の日本には航空産業と呼べるものが現在ほど育っていなかった。自動車の道を志してホンダに入ったが、1986年、極秘の航空機研究チームに回される。

赴任先は米南部ミシシッピ州の田舎町。信号機は3つしかなく、南部なまりの英語は聞き取れない。最初の1年は、型にやすりをかけて過ごした。実験機を2機造ったものの、事業化を後押しするほどの成果には至らなかった。

1996年、計画はあえなく打ち切られる。