計画打ち切りでも諦めなかった理由

計画が打ち切られても、藤野氏は諦めなかった。アメリカでの10年で、どんな機体を造るべきか、2つの手がかりを得ていたからだ。まず、アメリカの移動では、町から町へ移るにも大空港で乗り継がなければならない。その不便さから、小さな空港同士を結ぶ小型機の需要に気づいた。

もう一つは、2機目の実験機での経験だ。予定していたエンジンの開発が中止され、既存のエンジンに切り替えると、機体にはやや大きすぎた。取り付けられる場所を探して試行錯誤した末、残ったのは主翼の上だけだった。この経験がホンダジェットの設計に多くのヒントを与えたと、藤野氏は米スミソニアン協会の航空宇宙誌『エア・アンド・スペース』の取材で振り返っている。

インド経済誌のフォーブス・インディアによると、1997年、帰国して移り住んだ新居で荷をほどいていた藤野氏は、ドイツの流体力学者ルートヴィヒ・プラントルの古い教科書を見つけた。

コンピューターで数値計算できなかった時代、プラントルらは理論式を駆使して気流を解析していた。ページをめくるうちに、藤野氏は発想を切り替える。翼とエンジンの間で起きる気流の干渉を抑えるより、両者の流れを組み合わせ、全体として最もよい形を探ってはどうか。そうすれば、主翼上の最適な位置を突き止められるはずだ。

カレンダーの裏に描いた「空のシビック」

教科書を見つけて間もないある夜、寝床で新しい設計の構想がひらめく。跳ね起きたが、紙が見当たらない。壁のカレンダーを1枚破り取り、その裏にペンを走らせた。

1997年12月、藤野氏はこのスケッチを経営陣に示し、アメリカで目にした小型ジェットの需要を語って、この機体は「空のシビック」になりうると説いた。当時の川本信彦社長が新たな機体の研究開発を了承するまでには30分ほどかかったと、藤野氏はエア・アンド・スペース誌に語っている。

2022年6月に発売されたホンダ・シビック e:HEV
2022年6月に発売されたホンダ・シビック e:HEV(写真=Oq10pass/CC-Zero/Wikimedia Commons)

研究開発の了承は得たものの、主翼の上にエンジンを載せる案に、社内は首を縦に振らない。先に触れた「クビだ」の一件も、こうした攻防のさなかに起きた。ひそかに始めた検証は、理論と実験の両面に及んでいく。

実験の場となったのは、米航空機大手ボーイングの風洞試験施設だ。8分の1の縮尺模型を使い、「空のシビック」の試験が行われた。試験場で、ボーイングの技術者らがささやく。「ひどい設計だ。飛行機を何も分かっていない」。

だが1週間ほどたつと、データを見た彼らは考えを改め始めた。試験後の夕食の席では、「ホンダの人たちは本当に賢い」との言葉まで飛び出したという。藤野氏が後に、エア・アンド・スペース誌に明かした逸話だ。

風洞試験は、藤野氏が理論計算で割り出していたエンジン位置の正しさを裏付けた。主翼の周りの気流とエンジンの周りの気流が、互いに有利に働く位置だ。そこにエンジンを置くことで、高速飛行時には従来の配置よりかえって空気抵抗が小さくなる。

2機目の実験機では、ほかに置き場がなかったために主翼の上を選んだが、ここにきて積極的に選ぶ意味が出てきた。ビジネス・ジェット・トラベラー誌によると、この発見をまとめた論文はアメリカ航空宇宙学会の学術誌に掲載され、経営陣を説得する拠り所となった。