NHK朝の連続テレビ小説「ブラッサム」では、作家・宇野千代をモデルとした主人公・珠と同僚教師(島村)の恋愛が描かれた。ライターの栗下直也さんは「宇野の自伝や評伝によると、彼女は失恋の後に日本統治下のソウルに向かった。意図的に男と距離を置いたのだが、それでも宇野は同僚教師を忘れることはできなかった」という――。
宇野千代(1972年4月16日、神奈川県鎌倉市の東慶寺、田村俊子賞授賞式)
写真=共同通信社
宇野千代(1972年4月16日、神奈川県鎌倉市の東慶寺、田村俊子賞授賞式)

宇野千代と包丁の切っても切れない関係

大正5(1916)年の夏、朝鮮からの連絡船が下関に着いたのは昼だった。山陽線の汽車まで、まだ時間がある。18歳の宇野千代は街を歩き、大きな店に入った。昼間だというのに、店じゅうに電気がついている。金物店だった。

鋸、ナイフ、包丁。はるばる朝鮮から帰ってきたのに、土産が何ひとつない。千代は、小さな出刃包丁を買うことにした。実家には、よい包丁がなかったからだ。

「これを買って帰ったら、母はどんなに喜ぶことか。」

紙袋に包んでもらった包丁を、帯の間に挟んで店を出た。自伝『生きて行く私』にある場面だ。

朝ドラ『ブラッサム』第4週(11月19日~23日)の珠は、男の家で包丁を振り回したなどとうわさされ、行く先々で仕事を断られる。モデルとなった作家・宇野千代も包丁を帯に挟んだまま、恋の相手に会いに行く。その包丁がこの土産だった。

もう私に手紙を出さないでください

千代が朝鮮へ渡ったのは、この年の春である。1915年(大正4年)3月末、郷里・山口の小学校で、代用教員の職を失っている。同僚の教員、玉田精磨(自伝では「佐伯」の仮名、ドラマでは工藤阿須加演じる「島村辰彦」)との恋愛が、村じゅうに知れわたったからだ。

自伝によれば、このとき考えたのは、遠くへ行くことだった。

「人の噂を避けるために、どこか遠いところへ行かなければならぬ。」

自分が遠くへ去れば、男はうわさから解放される。行き先は、当時日本の統治下にあった朝鮮の京城(現在のソウル)に決めた。女学校時代に目をかけてくれた国語の教師が、そこの女学校に勤めていた。

京城では、その教師の世話で、雑誌『朝鮮及満洲』を手がける出版社の社長の家に仕事を得た。2人の子どもの勉強を見るのが仕事で、時間はたっぷりある。千代は毎夜のように、別れてきた男へ長い手紙を書いた。返事は、ごくたまにしか来なかった。

ある雨の朝、その男から分厚い手紙が届く。封筒の裏に住所はなく、名前だけが書いてあった。

「私もまた、罰をうけたのです。」

罰を受けたのは自分ひとりだと、千代は思っていた。だが男も、山奥の村の学校へ転任させられていた。手紙は続く。これを最後に、自分は一枚のハガキも出さない。あなたからの手紙も、一通も受け取れない。

「私を助けると思って、手紙は出さないで下さい。もう一度、同じことが起きると、私は破滅します」