NHK朝の連続テレビ小説「ブラッサム」では、作家・宇野千代をモデルとした主人公の珠が東京の西洋レストランで働く姿が描かれる。ライターの栗下直也さんは「宇野は自伝で、レストランで給仕女として働いたことが自分の運命を変えたと残している。そこでの18日間は非常に濃密な日々だった」という――。
作家・宇野千代=1971(昭和46)年4月14日撮影
写真提供=共同通信社
作家・宇野千代=1971(昭和46)年4月14日撮影

宇野千代の自伝に描かれた名編集者との出会い

昼食どきになると、必ず姿を見せる客がいた。

血色のいい赤ら顔に、りゅうとした和服。あだ名は「金時さん」。いつも宇野千代が受け持つ席に腰を下ろし、一言も口をきかずに猛スピードで食事を済ませ、ビールを一息に飲み干す。食事代のほかに、卓の上に五十銭玉の大きな銀貨をぽんと一つ置いて、そそくさと帰っていく。ちなみに、この頃、かけそばが5~6銭の時代である。

本郷三丁目の角にあったフランス料理店「燕楽軒」。千代はこの店で、18日間だけ給仕女をした。自伝『生きて行く私』は、この客についてこう書く。

「その人が、電車道を距へだてて燕楽軒の真ん前にあった、あの、中央公論社の名編集長である、瀧田樗陰たきた・ちょいんであろうとは、私は夢にも知らなかった。ただ、この大きな五十銭玉の銀貨を貰うのだけが目的で、毎日いそいそと燕楽軒へ通って行ったのであったが、十八日経って、ちょうどそれまでに、私たちが質屋へ運んだ品物がみな出せる、それだけの金額が溜まったときに、私は店を止めたのであった。」

朝ドラ『ブラッサム』第5週の珠は、西洋レストラン「悠樂軒」で働き、店を出る文芸雑誌の編集長・黒崎大三郎(演・遠藤憲一)を追いかけて「これ、読んでください!」と原稿を差し出す。モデルとなった客は雑誌『中央公論』の編集長、滝田樗陰だった。だが自伝に、原稿を差し出す場面はない。千代は、相手が滝田だとは知らなかったと書いている。

少なくとも、自伝ではそうなっているのだ。