18日で店を辞めた「金銭」以外の理由
千代は別の文章で、店を辞めた理由をもう一つ書いている。
「袷の裏を剥がした着物を着ている癖に、念入りに化粧をした自分の姿を、人の眼にさらすのが可厭だったのかと思います」
粗末な着物姿を人目にさらすのが嫌だったのかもしれないと振り返る千代が、10歳前後の娘の目には「きれいなお姉さん」だったのは興味深い。
自伝の千代は、何も知らずに五十銭玉を数えていた。犀星が知るところによる滝田は、書かせてみる心算でいた。滝田の娘が見た給仕女は、袂から原稿を出していた。自伝の描き方と、滝田を知る二人の回想は食い違う。
店でどんなやり取りがあったのか、これらの回想だけで、ひとつに決めることはできない。ただ、千代自身も、燕楽軒での18日間が自分の運命を変えたと書いている。
「しかし、この燕楽軒にいたことで、私の運命は、思いもかけない方向に進んだのであった。」
それから数年後の大正11(1922)年、千代は札幌から滝田に、小説「墓を発く」の原稿を送りつけることになる。
【参考文献】刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』(NHK出版新書)、宇野千代『生きて行く私』(角川文庫)、杉森久英『滝田樗陰 『中央公論』名編集者の生涯』(中公文庫)
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