年を重ねても、生き生きと過ごすにはどうすればいいか。NHK朝の連続テレビ小説「ブラッサム」のモデルで98歳まで生きた宇野千代は70代で那須に家を建てた。じきに死ぬのに無駄なことだと言う人もあったという。しかし宇野は「死ぬときまでは生きているのであるから、愉しいことだけを考えて、毎日を送りたいと、念願しているのである」と書き残している――。

※本稿は、宇野千代『死ぬまで自由に生きる習慣』(明日香出版社)の一部を再編集したものです。

宇野千代写真
宇野千代(写真=『女人藝術』1928年11月号/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

忘れっぽいから安穏に生きている

昔のことをすっかり忘れて了しまうと言うのは、老人の生活にとって、必要なことかも知れない。

ときどき、昔のことを思い出して書きたいと思うことがあるが、まるで忘れて了っているので、呆れることがある。中でも、思い出しては困るようなことは、大抵忘れている。

あの人に対して、悪いことをしたな、と確かにそう思いそうなことまで、すっかり忘れているのだから、好い気なものである。私がこんなに安穏な気持ちで平気で生きているのは、どうも、この、忘れっぽいと言う気持ちのせいではないかと思うのである。

あのときにはああすべきであったと思うことでも、じきにそのことを忘れる。

不思議なことであるが私は、自分が83歳の老人になっていると言うことも、大抵の瞬間に忘れている。もうじきに死ぬような年齢であるなどとは思っていないので、死に対しても、直接に恐怖すると言うことはない。

7つか8つの子供のとき、夜、寝ていて、裏の竹藪を吹き抜けて行く風の音を聞き、「私が死んでもあの風の音は吹き抜けて行く」と思うと、ぞっと背筋の寒くなるような恐怖を感じたものであるが、いまはあんな思いはない。

凡てに鈍感になっているのを、有り難いと思うべきかどうか。