人間は一面では語れない。それは経営者も同じだ。京セラや第二電電(現・KDDI)の創業者で、京セラ社長・名誉会長を歴任した稲盛和夫氏は「経営の神様」として知られる。ライターの栗下直也さんは「決して成功を自分の手柄にしない人だった。そこには幼少期からの祈りが関係している」という――。
2014年、京都市伏見区の京セラ本社でインタビューに応じる稲盛和夫さん
写真=共同通信社
2014年、京都市伏見区の京セラ本社でインタビューに応じる稲盛和夫さん

経営の神様が語った「神に祈ったのか?」

深夜の工場に、電気炉の火が入っている。その前で、若い社員が泣いていた。何度焼いても、製品が思うように焼き上がらないからだ。そこに、経営者がやってきて、言葉をかけた。

「どうかうまく焼成できますようにと神に祈ったか」

声の主は稲盛和夫。京セラと第二電電を興し、のちに日本航空を立て直して「経営の神様」と呼ばれた男である。神様と呼ばれた人が、部下に神頼みを勧める。

ただ、この神頼み、稲盛の真意を知ると気軽に頼めなくなる。

この場面は京セラ創業8年目。念願がかなって、米IBMから集積回路用の基板を大量に受注したときのことだ。会社にとって大仕事となったが、当然、要求される品質はこれまでとケタ違いだった。試作してははねられ、規格通りに納めたつもりでもはねられる。稲盛自身、工場の寮に泊まり込む日が続いた。

泣いていた社員はセラミックを焼き固める焼成工程の担当だった。炉の温度がわずかに揺れるだけで、焼き上がりの寸法が狂う。

稲盛が「今日はもう寝ろ」と言っても動かない。そこで、「神頼み」になるのだが、神に頼めば炉が言うことを聞いてくれるという話ではない。人間にできる工夫をすべて出し尽くし、あとはもう祈るしかない。そこまでやったのかと稲盛は聞いたのである。