人間は一面では語れない。それは経営者も同じだ。森永製菓の創業者、森永太一郎は苦学しながら西洋菓子の製造技術を習得。日本で初めて西洋菓子を製品化したことで成功を収めた。ライターの栗下直也さんは「生涯をかけて作り続けた甘いお菓子からは想像できないほど、無鉄砲な大巨漢で誰よりも人間臭い男だった」という――。
「母の日」に森永製菓が深くかかわっているワケ
5月といえばゴールデンウィーク。その陰で、うっかり忘れられがちなのが第二日曜日の母の日である。スーパーの店頭にはカーネーションが並び、母への感謝を促すBGMが流れる。現在、すっかり定着しているこの行事には菓子メーカーの森永製菓が深く関与している。同社は戦前の1937年(昭和12年)から「森永母をたたえる会」(現在は「エンゼル母をたたえる会」)という活動をスタートし、全国から図画を募集するなどして、母への感謝を啓蒙し続けてきた。
なぜ、一介の菓子メーカーがこれほどまでに「母」という存在にこだわるのか。そのルーツをたどると、創業者である森永太一郎の、底なしの「母への渇望」に行き着く。
太一郎は1865年(慶応元年)、現在の佐賀県伊万里市に生まれた。生家は伊万里焼や魚を広く扱う大きな問屋だったが、父の代で没落する。太一郎がわずか6歳の時に父は他界し、全財産は債権者に持っていかれた。悲劇はとまらない。さらに悲惨なことに、残された母は他家へ再婚して家を出てしまい、太一郎は親戚の家を転々とする孤児同然の身となってしまう。
少年期に親の愛を奪われた経験は、彼にとって終生のトラウマであり、同時に巨大なエネルギーの源泉となった。後年の「母をたたえる」活動の裏には、永遠に手の届かない母を求め続ける、一人の寂しい少年の姿が透けて見えるといっても言い過ぎではないだろう。

