人口減少や高齢化が進むなか、人が集まり続ける街とそうでない街がある。その違いはどこにあるのか。フリーランスライターの小川裕夫さんは「街の盛衰は、現代の住宅選びで重視される条件を満たせたかどうかで大きく変わってくる」という――。
青空の下の住宅街
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働く人々を支えた「ニュータウン」

大阪府吹田市・豊中市にまたがる千里丘陵に千里ニュータウンが誕生したのは1962年。日本初とも称される同ニュータウンは、すでにまちびらきから60年以上が経過した。都市圏郊外に誕生したニュータウンは、その後も東京圏には多摩ニュータウン、横浜圏には港北ニュータウン、名古屋圏には高蔵寺ニュータウンと、続々と造成されていった。

一般的にニュータウンと呼ばれる住宅街は高度経済成長期から誕生したとされるが、ニュータウンに明確な定義はない。

そのため、千里ニュータウン誕生前の、いわゆるニュータウン前夜にもニュータウンのような住宅地は計画・造成されている。ただ、それらは○○ニュータウンという名称を付されることはなく、歴史から没却されつつある。

そうした前史も含めて、ニュータウンには地方の農村から都市部へと働きに出てきた労働者の住居を確保する、という意味合いが強く含まれていた。

街と住民が一緒に高齢化していく

1968年の住宅統計調査で、早くも住宅数が世帯数を上回る。以降、住宅政策は量から質へとシフトしていくことになる。それがニュータウンの新陳代謝を鈍らせる遠因にもなるが、誕生から約半世紀に達する頃からニュータウン住民の高齢化は顕著になった。こうした現況から、オールドタウンなどと揶揄する向きも出てきた。

ニュータウンは大量に住居を建設しなければならず、必然的に広大な大地が確保できる郊外に計画された。

ニュータウンに入居した住民の多くはサラリーマン世帯で、まちびらきと同時に入居してきた家族は20代後半から30代が大半を占めた。歳月の経過は同時にニュータウン全体の高齢化と直結する。

筆者は「オールドタウン」と揶揄されるようになった2010年代より、断続的に全国各地のニュータウンに足を運び、時に関係者に話を聞いてきた。ニュータウン関係者の間では、何とか新たな住民を迎えようという試みを打ち出そうとしているものの、時代に即応できていないと感じる点が多々あった。