流通のカリスマが「NO」を乗り越えたワケ
5月18日、セブン&アイ・ホールディングス元会長の鈴木敏文が93歳で逝去した。日本に「コンビニエンスストア」という未知の業態を定着させ、おにぎりやおでんを国民食へと昇華させ、銀行まで創り上げた「流通のカリスマ」の旅立ちだった。
鈴木の生涯を振り返るとき、不思議なことに気づく。彼の人生の節目には、いつも誰かの「NO」があった。受験の面接では一言も答えられず不合格になり、大卒後に入社した会社では上司に反対され、コンビニや銀行の立ち上げはマスコミと業界から猛反発を浴びた。最後は創業家から待ったをかけられて表舞台を去った。
経営者にとって反対は障害だが、鈴木にとっては違った。全員が反対するということは、誰もまだそこに目をつけていないということ。拒絶され、反対されることから物事を始める男だった。
苛烈なトップダウンと論理で組織を牽引した鈴木だが、その本質は驚くほど「シャイ」であった。
シャイだからこその冷徹な合理性
鈴木は1932年、長野県坂城町の名士の家に生まれる。厳格な母の下で極めて内向的な少年として育った。当時の同級生の目には、常に何かを考え込んでいるような、およそ子供らしからぬ物静かな存在として映っていたという。この生来の内気さが災いし、彼は大きな挫折を経験する。旧制中学の受験時に面接で極度の緊張から一言も答えることができず、不合格になってしまう。
この苦い経験が、鈴木を変えた。高校では自らを奮い立たせるように、生徒会長に立候補。その後に進学した中央大学でも全学自治会の書記長を務めるなど、無理をしてでも前に出る訓練を重ねた。
大学卒業後、取次大手の東京出版販売(現・トーハン)に入社した彼は、広報課で無料の目録誌だった「新刊ニュース」の編集を任される。そこで、上司の反対を押し切り、目録誌を有名作家の対談などを盛り込んで有料誌へと改革する。発行部数を5000部から13万部へと爆発的に伸ばすという規格外の実績を残す。
ただ、自己変革を遂げる中で身につけた「合理性」は周囲との軋轢も生んだ。東販時代の元同僚によれば、当時の彼は一度言い出したら譲らず、時には激しい口論になることもあったという。
「知・情・意のうち情がすっぽり抜け落ちている」と評されたり、「人間の感情すらバランスシートにかけかねない」と恐れられることもあった。生来のシャイな自分を押し殺し、論理と意志の力で周囲を圧倒する。鈴木がビジネスの場で被り続けた「冷徹な合理主義者」という仮面は、こうした青年期に形成されたのだろう。

