「高級寿司」はハレの日に
われわれ日本人にとって、寿司という食べ物は極めて特殊な位置づけにある。普段は一皿100円の回転寿司チェーンで合理的に胃袋を満たしながらも、「特別な日には回らない寿司屋に行きたい」という強烈な憧れを抱いている。
日々の仕事に追われながら堅実に生きる多くのビジネスパーソンにとって、客単価1万5000円から3万円の高級な鮨屋の暖簾をくぐることは、誕生日や結婚記念日、あるいはプロジェクトの打ち上げなど、年に数回の「ハレの日」のイベントである。
数カ月前から予約を入れ、緊張しながらカウンターに座り、職人の手元を見つめる。そして、目の前に出された美しいウニや大トロの握りをスマートフォンで撮影し、「最高の記念日になった」「自分へのご褒美だ」と満足して店を後にする。
この消費行動自体は、何ら否定されるべきものではない。自らが汗水垂らして稼いだお金で、大切な人と美味しいものを食べ、非日常の空間を楽しむ。それは極めて健全で、ささやかで美しい幸せの形である。
マーケティングの観点から見れば、彼らは「コストパフォーマンス」と「ハレの日の特別な体験」というバランスの中で、極めて合理的な消費を行っているマジョリティ層だと言える。
しかし、世の中にはこの常識や金銭感覚がまったく通用しない、バグのような別世界が存在する。それが、一晩の食事に数百万円という途方もない金額を平然と投じる「新興富裕層」たちの世界と、そこからさらに独自の境地へと達した「成熟した富裕層」たちの世界である。
鮨屋の選び方という一つのレンズを通すことで、人が持つ資産の多寡だけでなく、「本物の豊かさとは何か」という教養と知性の残酷なまでの差が浮き彫りになるのだ。
「一晩400万円会計」シンガポール高級店の実態
金融街のエリートや、暗号資産で巨万の富を得た新興の成功者たちが集う海外の超高級鮨店。たとえばシンガポールなどの最高級ホテルに入る日系の鮨店では、にわかには信じがたいスケールの会計が日常的に叩き出されている。
カウンター数席の個室を貸し切り、一晩で支払われる金額が「400万円」に達するようなケースだ。
極上のマグロやウニを世界中から空輸しているとはいえ、魚と米の原価だけで数百万になることは物理的にあり得ない。
彼らは一体何に対してそれほどのお金を払っているのだろうか。
会計の大きな内訳を占めるのは、ロマネ・コンティをはじめとする超高級ワインや希少なシャンパンの代金である。彼らは、繊細な江戸前鮨のカウンターに何本ものグラン・クリュ(特級畑)のワインを持ち込み、次々と栓を抜いていく。
彼らが買いたいのは、鮨の純粋な「味」ではない。巨額の資金を投じて買っているのは、「カウンターという閉鎖された密室空間での圧倒的なライブ感」であり、「日本から招聘された一流職人を自分たちだけで独占しているというステータス」であり、それを可能にする「自分たちの圧倒的な購買力の証明」なのである。

