どんな家族にも、他人には打ち明けたくない話がある。マンガ家・宮川サトシさん(48)にとって、それは15歳年上の長兄の存在だった。家族相手に大暴れを起こし、20代で仕事をやめてからは30年以上、ゴミ屋敷と化した自宅で引きこもりを続けている。だが、宮川さんはその兄をマンガに描くことを決める。なぜそう思い立ったのか。そして、どのように兄と向き合ったのか。ライターの市岡ひかりさんが聞いた――。(前編/全2回)
マンガ家・宮川サトシさん
撮影=遠藤素子
マンガ家・宮川サトシさん

兄ではなく、「一緒に住んでいる変な人」

マンガ家・宮川サトシさんは、これまで家族を題材にしたエッセイマンガを数多く描いてきた。だが、それらの作品に、長兄はこれまで一度も登場していない。最新刊『名前のない病気』(小学館)では、長年にわたり距離を置いてきた兄と、初めて向き合おうとする宮川さんの葛藤が克明に描かれている。

「兄は言葉を選ばずに言えば、『邪魔な人』でした。僕が見たいテレビがあると、必ず途中で邪魔しにくる。反論すると大声で怒鳴られました。ずっと自分のやっていることが妨害されているような感覚がありましたね。兄という感覚はなかったですし、幼いころは『兄ちゃん』と呼んだ記憶もないですね」(宮川さん、以下すべて同)

岐阜県に生まれ、三兄弟の末っ子として育った宮川さんにとって、15歳年上の長兄は、兄弟というよりむしろ「一緒に住んでいる変な人」。気に入らないことがあるとすぐ癇癪を起こして大声で怒鳴り散らした。リビングと台所の間のガラス戸をたたき割ったり、テーブルごとご飯をひっくり返すこともしょっちゅうだった。

「おめえら全員殺したるでなあっ」

「あの人」「アイツ」「長男さん」――。どこか距離のある呼び方で兄を呼ぶ癖がついた。

宮川さんが小学校低学年のころだ。早朝、兄と両親の言い争う声で目を覚ますと、ドアの前に「長男さん」が包丁を持って立っていた。「おめえら全員殺したるでなあっ」。そう言って暴れかけた「長男さん」を、7つ上の次兄が膝蹴りをかまして止める。そしてその数時間後、家族は何事もなかったように、そろって旅行に出かけたという。異様にも思える光景だが、宮川さんにとっては、よくある日常風景だったという。

「度々包丁を持ちだすことはあったものの、結局それで誰も切られることはなかったんです。だから『またいつものパターンか』と慣れていったんですよね」

恐怖を感じてもおかしくないはずだが、それ以上に強く感じていたのが「恥ずかしさ」だった。友人が遊びに来たとき、兄と両親が怒鳴り合う声が響いてくることも。「大丈夫?」「僕らが来たから、あんな感じなの?」と眉をひそめる友人たちを前に、宮川さんはいたたまれなくなった。