内側からは「ヤバい家」とは気づけない
「もう説明するのも嫌で。でも、そういう時に、真ん中の兄ちゃんが和ませに来てくれたりしたんですよ。その時に『同じく恥ずかしく思う仲間がいる』と思ったりして。そこで心のバランスを取っていました。『自分はヤバい家に住んでる』みたいな感覚って、客観的視点だと思うんです。家の中にいると、そういうドラマチックな目線よりは『恥ずかしい』『ダルい』とか。そっちの方が近いですね」
両親は障害や病気を疑い、兄を精神科などに受診させた。しかし、結局はっきりとしたことはわからず、その症状に“名前がつく”ことはなかった。
精神医療が発達した今であれば違っただろうが、今から30年以上前のことだ。兄は高校を卒業後、工場で働くようになった。
休みがちながらも社会生活を送っていた兄が、ひきこもるきっかけの一つが、宮川さんとの間に起きたある出来事だった。
次男が大学進学のため家を出ると、暴れる「長男さん」を押さえるのは宮川さんの“役目”になっていった。高校生の時、帰宅すると、台所から母の叫び声が聞こえた。かけつけると、兄が母に包丁を向けていた。「キレてしまった」という宮川さんは兄ともみ合いになり、結果的に脾臓が破裂する大けがを負わせてしまった。
引きこもる兄、結婚した自分
この時のことを、宮川さんはよく覚えていないという。
「ケガをさせた感覚は、頑張って思い出した時に、ふっと浮かぶだけ。具体的にどうだったかという記憶が、どんどん薄れていくし、電源が落ちたみたいにその時の記憶が抜けているんですよね。でも、こうやって取材でお話ししたり、マンガの編集担当さんと話したりすると、ふわっとフラッシュバックしたり。『都合のいい記憶だな』と自分でも思うんですけど、それほどショックが大きかったのかもしれません」
このケガもきっかけとなり工場を辞めた「長男さん」は、自宅に引きこもるように。日がな一日テレビを見て過ごし、時折高齢の親に当たり散らす日々を送るように。そして両親が他界後は、実家で一人暮らしとなった。
一方、宮川さんは上京し、マンガ家としてデビュー。結婚して2人の子どもにも恵まれた。36歳の時に最愛の母について描いたエッセイマンガ『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社)は映画化されるほどヒット作に。家族愛に満ちた作品だが、その作品に「長男さん」に関する描写は一切ない。
「冷たい言い方ですが、母のことを描きたいのに、兄についても描かないといけないとなると、軸がブレてしまうと思ったんです。幼いころから感じていた、兄を恥ずかしく思う気持ちも当時はありました」


