NHK「豊臣兄弟!」は、清須会議で“三法師を担ぎ出す秀吉”を描いた。大河ドラマや映画などの定番シーンだ。三法師はその後、どのような人生をたどったのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。
NHK放送センター
NHK放送センター(写真=Suicasmo/CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons

「担がれた三法師」の描かれない“その後”

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」、8月9日放送の第30回「清須会議」では、秀吉(池松壮亮)が幼子を抱いて現れた。その幼子こそ、三法師。織田信長の嫡孫である。

清須会議、と聞いて多くの人が思い浮かべる光景がある。「秀吉が三法師を担いで勝った」というイメージだ。三谷幸喜の映画では、大泉洋が演じた秀吉が幼子を抱いて颯爽と登場し、重臣たちが平伏する。そのイメージはいまや国民的な「定番絵」として定着している。

絵本太閤記 清洲会議の一場面。
絵本太閤記 清洲会議の一場面。豊臣秀吉が3歳の三法師を抱いてあらわれた。(写真=日本城郭資料館所蔵/ブレイズマン/PD-Japan/Wikimedia Commons

8月16日放送の第31回では織田信孝が岐阜城へ連れていくという。だが、この三法師がその後、どうなったかを描いた作品はほとんどない。

信長の嫡孫である。秀吉に担がれて会議に勝った側の人間である。しかもまだ3歳だった。なぜ歴史の表舞台から、あっけなく消えたのか。答えは、「担がれた」という言葉の中にある。

大抵は清須会議に登場した幼児の姿を最後に忘れ去られてしまう三法師だが、その後も彼の人生は続いている。紆余曲折を経て、秀吉と信雄・家康が対立した小牧・長久手の戦いでは、秀吉に担ぎ出されて従軍している。

黒田基樹『羽柴を名乗った人々』(KADOKAWA、2016年)によれば、この頃までに祖父信長にちなんだ仮名である三郎、そして実名秀信を名乗ったとされる。秀信の名は秀吉からの偏諱に織田家の通字である信を組み合わせたものだ。このことを黒田は次のように記している。

秀信は秀吉配下の立場に置かれたことが、明確に示されたものになっている。織田家当主ではなかったが、織田嫡流家の当主として位置づけられたとみられる。