唯一、自分で選んだ「信仰」

フロイス、褒めすぎである。冷静に読むと「とにかく素晴らしい、何もかも素晴らしい」という感情が先走って、具体的に何が素晴らしいのかよくわからなくなっている。布教活動に心血を注いできた宣教師が、ついに信長の嫡孫を信者に迎えた喜びで、筆が完全に滑っている。

ともあれ、秀信の影響で周囲の家臣たちも次々と受洗したというから、どこまで秀吉に秘密が保たれていたのかはよくわからない。表立って宣伝することはなかったが、秀信は岐阜を訪れた神父に教会を建てるための土地を与えるなど便宜を図っている。しかしそうした信仰の広がりへの希望は、秀信が関ヶ原で西軍に与したことですべて幻となってしまった。

担がれるだけの人生の中で、信仰は秀信が唯一自分で選んだものだった。

そしてここに、もう一つ見落とせない事実がある。秀信はキリスト教を信仰する一方で、領内の寺社には寺領の寄進や諸役の免除を行い、仏教の保護にも熱心だった。崇福寺は信長・信忠の位牌所として特に重視し、繰り返し保護の文書を発給している。

キリスト教への回心は、祖父・父への追善供養を捨てることを意味しなかった。洗礼を受けながら、信長の嫡孫としての務めも手放さなかった。三法師として担がれ、秀信として組み込まれた男が、最後まで自分なりの折り合いをつけようとしていた姿が、ここに見える。

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