羽柴秀長とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「領民に対して温和で誠実といったイメージがあるが、間違っている。遺された史料からは、領民、寺社とわず徹底して収奪する冷酷な君主としての姿が見える」という――。
豊臣秀長(羽柴秀長)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大名。豊臣秀吉の弟(奈良県大和郡山市春岳院所蔵品)(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
「秀長が大和の領民を寺社から守った」は本当か
天正13年(1585)6月から羽柴秀長(仲野太賀)は、みずから総大将を務めた四国征伐で、四国をほぼ統一していた長宗我部元親(磯部寛之)を、土佐(高知県)一国を安堵するという条件で屈服させた。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第36回「姫若子と鬼若子」(9月20日放送)。
その功績によって大和(奈良県)を加増され、同年閏8月、本拠地を和歌山城(和歌山市)から大和郡山城(奈良県大和郡山市)へと移した。第37回「秀長の国」(9月27日放送)の予告では、秀長は「ここ大和がわれらのあたらしき国じゃ」と、家臣たちを前に宣言したが、そこに「大和はもっとも厄介じゃぞ」という誰か(池松壮亮演じる羽柴秀吉か)の声も重なった。
なにがどう「厄介」なのか。それは興福寺(奈良市)をはじめ古代以来の寺社勢力が絶大な権力をもち、種々の利権を独占している、という意味だと思われる。実際、寺社は大和の領民に対しても、高額な年貢を課していた。そのために領民が苦しんでいると知った秀長は、検地をおこなって年貢の適正化を図るが、僧たちは抵抗する。そればかりか、仏罰を恐れた領民たちまで反対する――。そんな状況が描かれるようだ。
しかし、秀長は寺社の横暴から大和の領民を、はたして本当に解放したのだろうか。遺された史料や物証からは、むしろ秀長こそ領民から収奪したように見えるのである。
