豊臣秀吉とはどんな人物だったか。歴史評論家の香原斗志さんは「彼ほど、交渉において飴とムチのあたえ方がうまかった武将はいない。異例の関白就任も、その能力がいかんなく発揮された」という――。
弟・秀長が秀吉の四国出陣を必死で止めたワケ
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第36回(9月20日放送)はサブタイトルが「姫若子と鬼若子」。姫若子も鬼若子も、四国の覇者となった長宗我部元親(磯部寛之)のあだ名なので、第36回の中心人物は元親のようだ。
織田信雄(山脇辰哉)と和睦して小牧・長久手の戦いに終止符を打った羽柴秀吉(池松壮亮)は、続いて四国の制圧に乗り出す。そのころ元親は四国をほぼ統一していたが、秀吉から阿波(徳島県)と讃岐(香川県)、さらには伊予(愛媛県)までの割譲を求められた。むろん元親は承諾しない。そこで秀吉は天正13年(1585)5月、元親の征伐を命じた。
その総大将に選ばれたのが秀長(仲野太賀)で、6月15日、秀長率いる軍勢は3カ所から四国に攻め込んだ。当初は秀吉も渡海するはずだったが、一人大坂に留まり、ギリギリまで元親と交渉していたようだ。とはいえ、遠征軍にはこと細かに指示をあたえている。
その後、秀長が率いる羽柴軍が木津城(徳島県鳴門市)の攻撃に時間を要すると、いら立った秀吉はみずから出陣しようとするが、秀長は思いとどまらせた。阿波や讃岐がまだ攻略できていない状況で、秀吉みずからの出陣となれば、敵には侮られ、秀長にとっては恥辱になる、と訴えたのだ。つまり、秀吉のお出ましがなければ勝てない、と長宗我部方に思われれば味方に不利になる、という理屈である。
その結果、秀吉の出陣は取りやめになり、結果として四国征伐は、秀長が一人で総大将を務めた唯一の合戦となった。しかし、秀吉には、大坂に留まったことで大いなる恩恵がもたらされることになった。

