秀長が後押しした関白秀吉誕生
このとき近衛前久は、いずれ信輔が関白になるのなら、いまは秀吉の要求を受け入れるのは仕方ない、と判断したようだが、秀吉はいちど手にした関白職を近衛家に譲る気など、さらさらなかったと思われる。この辺りも秀吉は一枚上手なのである。
7月6日、秀吉が正親町天皇に、関白職を申し受ける旨を奏請した。天皇が諸家に是非を尋ねたところ、近衛家にも二条家にも異論はなかった。こうして7月11日、秀吉はついに朝廷から関白宣下を受け、従一位関白となったのである。
ここに至るまでの経緯は、上に記した内容からわかると思うが、じつに秀吉らしく巧妙にして狡猾だった。飴とムチのあたえ方が秀吉ほどうまかった武将、および政治家はいなかったのではないだろうか。
秀長が四国へ出発する以前、秀吉は正二位内大臣だったが、秀長が戻ったときには、もう従一位関白に上り詰めていた。いうまでもないが、その後の秀吉は関白職を自身の政権の基盤にした。もし秀長が、兄の秀吉が四国に出陣することを強く望んでいたなら、こうもうまく関白宣下にたどり着けたかどうかわからない。
前述したように、秀長はあえて秀吉に出陣を思いとどまらせた。結果論だが、四国にいた秀長はこうして、関白秀吉の誕生を後押しし、おかげで秀吉はそのチャンスをつかむことができた、といっても過言ではない。
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