NHK「豊臣兄弟!」では、四国統一目前の長宗我部元親と秀吉勢の戦いが描かれる。秀吉に降伏し、土佐一国を守った長宗我部家は、元親の跡を継いだ盛親の代で、その領国を失ってしまう。四国に勢力を広げた家の没落を決定づけたものは何だったのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に読み解く――。
南西側から見たNHK放送センター
南西側から見たNHK放送センター(写真=Syced/CC-Zero/Wikimedia Commons

四国の名門・長宗我部家はなぜ没落したのか

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。物語は秀吉(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)による天下統一へと話が進んでいる。9月20日放送の第36回「姫若子と鬼若子」からは、いよいよ四国攻めが始まる。

これに前後して注目されるのがNHK松山放送局が制作した関連特別番組「長宗我部兄弟!」だ(四国では18日放送。全国放送は23日)。この番組、長宗我部元親(演:土佐兄弟・卓也)、香宗我部親泰(演:土佐兄弟・ゆうき)とお笑いコンビ・土佐兄弟の二人が演じるということで放送前から話題となった。なお、二人とも本名だが東京都生まれで実家は日本橋で呉服屋を営んでいた(2024年2月23日「読売新聞」)。

この長宗我部氏、土佐の小領主から身を起こし、四国統一目前まで駆け上がった元親と、その右腕として各地を駆け回った親泰の二人の活躍ぶりは、特番のほうでたっぷり堪能できるはずなので、ここでは深追いしない。

問題はその後だ。

四国を統一しかけた男の家が、なぜここまであっけなく潰えたのか。

本稿で掘り下げたいのはここだ。元親の武勇伝ではなく、その晩年から、跡を継いだ四男・盛親の代で改易に至るまでの、あまり語られてこなかった転落の過程である。

わずか10年で四国統一目前

秀吉政権下に組み込まれた戦国大名の中には、前田や島津、毛利のように、外様としてしぶとく江戸時代を生き延びた家も少なくない。しかし長宗我部家は、関ヶ原のあと、あっけなく改易され、大名としての土佐は「山内の国」になってしまった。元親自身、秀吉から大隅一国加増の話があった際にこれを固辞したと伝わるほどの実力者だったにもかかわらず、である。

考えてみれば、元親の人生は波瀾万丈だ。主家筋にあたる土佐一条氏の当主・一条兼定を1574年に豊後へ追放したものの、翌75年には兼定が旧領奪還を狙って土佐に舞い戻ってくる。これを四万十川の戦いで叩き潰し、ようやく土佐一国を完全に手中に収めた。

そして、ここからの元親は速い。

信長との関係を築きながら、1578年には早くも凋落しつつあった三好氏を追って阿波へ出兵。讃岐では名族・香川氏を取り込んで国人衆を次々になびかせ、十河存保ら三好方と各地で刃を交える。伊予でも、中予の河野氏、南予の伊予西園寺氏を相手に同時並行で戦線を広げていく。土佐一国を統一するのに何年もかけた男が、そこから阿波・讃岐・伊予の三国を股にかけて暴れ回るのに、大した助走もいらなかった。

1585年には、河野氏がついに抵抗をやめ、元親は四国統一目前に至った。ここまでわずか10年なのだから、とてつもないスピードだ。