今年のNHK大河で描かれる秀吉と秀長の「豊臣兄弟」は、本当はどんな関係だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「決して和気あいあいの二人三脚ではなかった。実際には、秀長から兄・秀吉へ手紙を送ることも許されなかった」という――。
NHK大河では仲のいい豊臣兄弟だが…
羽柴秀吉(池松壮亮)が最大のライバルの柴田勝家(山口馬木也)を破り、天下人へと一気に近づいて以降、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、秀吉と秀長(仲野太賀)の兄弟は、それまで以上に二人三脚の度合いを深めているように見える。
第37回「秀長の国」(9月27日放送)では、絢爛豪華な大坂城天守の最上層で秀吉は、領地の再配分を申し渡す場に早く現れるよう催促にきた秀長に、「見てみ」と眼下に広がる大坂の景色を眺めるように誘い、秀長の肩に手を回してこう続けた。「長浜で初めて城持ち大名になったときも、こうしてお前と治める地を見渡したのう」。
秀長が「あのころは、わしらもずいぶん偉くなった気がしたが、いま思えば、まだまだであったな」と感慨にふけると、秀吉は「これは夢ではないかのう。百姓じゃったわしが、関白じゃぞ」と感想をもらす。秀長は「浮かれてはならんぞ!」と釘を刺すが、「わかっておる」と答えた秀吉と秀長は顔を見合わせ、大笑いをはじめた。「とはいうても関白じゃからのう。そりゃ浮かれもするわ」と秀長。「そうじゃ」と答える秀吉。2人は心の底からうれしそうに笑い合うのだった。
実際、秀吉の「天下一統」の過程で、秀長の果たした役割はかなり大きかった。各地の大名たちが羽柴政権に従属するように「取次」をし、従えたのちに、臣従した状態が維持されるように「指南」をした中心人物が秀長だった。長宗我部元親や毛利輝元にはじまり、織田信雄や徳川家康まで、みな秀長が政権につなぎとめていたといっても過言ではない。
だが、2人がいわゆる「二人三脚」で政権を運営したのかといえば、そうとはいえない。

