「弟」ではなく「優秀な家臣」
秀長はずっと「二人三脚」で羽柴政権の構築を助け、支えてきた弟である。しかも、当該の城攻めでは勝利している。それでも「成敗する」といってしまうほど、秀吉は弟に対して厳しく、冷酷なほどだった。
繰り返しになるが、秀吉は秀長のわずかな失敗も見逃さず、厳しい態度で臨んだ。秀長は秀吉にとって、無二の弟ではあっても、決して共同統治者ではなかった。あくまでも家臣の一人にすぎなかった。なにしろ書状さえ、兄に宛てて直接送れなかったのである。
しかし、秀長も「家臣の一人」だったという事実から、別のことも見えてくる。秀長は数々の軍功を上げただけでなく、前述のように、天下一統の過程で錚々たる大名たちを政権につなぎとめる役割を果たした。従二位権大納言まで上り詰めた秀長を、秀吉は自身の後継者にすることさえ考えていたとされるが、それもこれも弟だという以前に、優秀な家臣だったからだ、ということがわかる。
政権を安定させるために、秀吉が血縁を重視したのは事実だが、どんなに血のつながりが濃くても、秀吉は仕事のミスを許さなかった。「豊臣兄弟!」のような和気あいあいの関係ではなく、もっと厳格な主従関係のうえで、秀吉は秀長を信頼していたものと思われる。
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