織田家の代表は信雄、血統上の本筋は三法師

……なるほど! と納得できるだろうか。たぶんできない。これは、実にややこしいことである。少し整理しよう。

清須会議から約4カ月後の天正10年(1582年)10月、秀吉は丹羽長秀・池田恒興とともに、信長の次男・信雄を織田家当主として擁立した。清須会議で後継者とされた三法師ではなく、成人した信雄が織田家を代表する立場になったのである。

この時点で三法師は、岐阜城の信孝のもとに置かれていた。しかし12月、秀吉に包囲された信孝は降伏。三法師は信雄の庇護の下、安土城の仮屋敷へ移された。