23歳で妻子を置いて単身渡米

親の愛を知らずに育った太一郎は、やがて身長6尺(約181センチ)の大男に成長する。「相撲取りにならないか」と本気でスカウトされるほどの立派な体格だった。焼き物問屋を営む伯父の世話になり、10代からこんにゃくや野菜の行商で小銭を稼ぐうちに商売の面白さに目覚める。

伯父からは「不正直な品を売るな」「適正と信じた価格は絶対に下げるな」「急がず10年を一期として働け」という商人のイロハを徹底的に叩き込まれた。この教訓はのちに森永の骨格となる。

太一郎という男はとにかく性格が極端で「直情径行」だった。これが長所でもあり短所だった。「物事に熱中する代わりに、こうと信じたら貫徹しようとする」――つまり、熱中したら最後まで貫かずにはいられない性分――と自身で自己分析しているように、ブレーキの壊れたダンプカーのようなところがあった。

1888年(明治21年)、23歳になった太一郎は「九谷焼をアメリカで売って一旗揚げる!」と突如思い立ち、妻子を残したまま単身で太平洋を渡ってしまう。英語も話せないのに九谷焼をどう売ろうとしたのかは謎だが、無鉄砲な挑戦は当然のごとく大失敗に終わる。あっという間に無一文に転落する。

陶磁器
写真=iStock.com/Candice O\'Neill
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信心深い老夫婦との出会い

当時のアメリカは黄禍論が渦巻いており、東洋人は「ジャップ」と蔑まれる人種差別のドン底だった。学校の使い走りやホテルの下働きなどを転々とし、安月給で酷使される日々を送る。

そうした放浪生活の中、サンフランシスコ近郊のオークランドで雇われた際、信心深い老夫婦に出会う。彼らは人種差別をせず、太一郎を人間として優しく扱ってくれた。異国で蔑まれていた孤独な巨漢は、この無償の愛に触れてキリスト教に「熱狂的」に入信してしまう。どこまでも直情径行なのだ。

アメリカに来た初志はどこへやら、太一郎は急旋回して、「この素晴らしい教えを故郷のみんなに伝えねば!」と謎の使命感に燃え上がる。決めたら行動は早い。一文無しのくせに船の臨時雇いになって日本へ舞い戻る。

ところが、意気揚々と帰った故郷の伊万里では「あいつは邪教に染まった」と親戚中からドン引きされる。四面楚歌に陥り、打つ手もなく、わずか3カ月で再びアメリカへととんぼ返りする。行動力は異常だが、計画性は常にゼロである。