稲盛の考える「工夫」とは
社員は「神に祈ったか……」と繰り返してから答えた。「わかりました。もう一度、一からやってみます」。そして、この難題を乗り越えたという。京セラは昼も夜も工場を止めずに改良を重ね、IBMの高い評価を勝ち取り、大きな飛躍となった。
多くの人の神頼みは、自分の手に負えなくなったところから始まる。稲盛の神頼みは、「本当に手に負えないのか」と問い直すところから始まる。神様に任せたはずの難題が突き返されてくるのだから、社員にしてみれば厳しい。
ただし、厳しいといっても、泣いている部下に気合を入れた話ではない。稲盛はそもそも、戦前の「竹やり精神」のような根性論を嫌った人だった。祈る前にやったかと問われているのは、気合ではなく工夫である。
祈る前に、人間の側でやれることを尽くす。現場では、それが工夫であり、その工夫の成果が業績として数字になる。稲盛は生前の取材で、損益計算書を読み込む大切さを説いてこう語っている。「昔は、損益計算書を抱いて寝たくらいですよ」。神様の出番は、数字を抱いて寝たあとにしか来ないのだ。
では、稲盛自身は何を祈っていたのか。
「なんまん、ありがとう」
稲盛の評伝を書いた作家の北康利が、本人から聞いた言葉がある。
「なんまん、なんまん、ありがとう」
なんまんは南無阿弥陀仏の意味で、幼いころ、父に連れられて行った寺で教わった念仏だという。稲盛は「この言葉を口にすると生かされているということを実感させられるんですよ」と北に語っている。
母からは、阿弥陀様がいつでも「見てござる」と聞かされて育った。のちに稲盛は、第二電電の創業や日本航空の再建といった大きな決断のたびに「動機善なりや、私心なかりしか」と自らに問うたことで知られる。「いつも誰かが見ている」という子どものころの感覚が、そのまま経営者の自己点検につながった。
「なんまん、なんまん、ありがとう」には、お願いがない。「売れますように」でも「勝てますように」でもなく、ありがとう。まだ何も頼んでいないのに、先に礼を言っている祈りである。
稲盛は二つの会社を興し、経営破綻した日本航空まで立て直した人だ。おれの力でやった、と言える材料なら山ほどある。ところが本人は、成功を自分の手柄にせず、「生かされている」と言う。子どものころの念仏は、努力の人が驕らないための歯止めになっていた。自分の力を過信しない人は、人の言葉を受け入れられる。

