「豊臣兄弟!」にも登場した脇役の代表格
毎年必ず放送されるNHK大河ドラマ。井伊直弼を描いた1963年の『花の生涯』以来、60年以上にわたって放送が続いている。戦国あり、幕末あり、近現代あり。これまで数多くの人物が主人公の栄誉を手にしてきたが、一方で「主役の隣にはいつもいるのに、いつまで経っても主役になれない」という不思議な立ち位置の人物もいる。
今回取り上げる池田恒興は、まさにその代表格だ。恒興は、現在放送中のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では小牧・長久手の戦いで最期を迎えた。
織田信雄(山脇辰哉)と徳川家康(松下洸平)を相手にした羽柴秀吉(池松壮亮)の戦いである。小牧山城に籠もる徳川軍を前に戦線は膠着。そこで堀井新太演じる池田恒興が、家康の本拠である岡崎を攻めれば、徳川軍を城から引っ張り出せると進言する。(9月13日放送の第35回「秀長誕生」)
歴史を知っている人なら、
「ああ、恒興、それはやめておけ」
と言いたくなる場面である。
しかし視聴者がそう思う間もなく、作戦は同じ回のうちに破綻する。徳川軍に動きを察知された羽柴軍は奇襲を受けて敗走。退却を勧める家臣に、恒興は「この策を献じたのはわしじゃ。わしがやり切らねば示しがつかぬ!」と言い残して戦場にとどまり、まず嫡男・元助が討たれる。その後を追うように駆け寄った恒興も討ち取られ、「元助! すまぬ……」の言葉を残して絶命した。
ちなみに、劇中で恒興の首を取ったのは徳川四天王だが、史実で実際に討ち取ったのは永井直勝である。
討ち死にしたが、家は繁栄した
さて、この池田恒興である。考えてみると、妙な武将だ。
別にマイナー人物ではない。織田信長の時代から登場し、本能寺の変後には羽柴秀吉について山崎の戦いを戦い、清洲会議にも関係し、最後は小牧・長久手で徳川家康と戦って死ぬ。
常に主人公の傍らにいたためか、大河ドラマでの登場回数はけっこう多い。『太閤記』『黄金の日日』『おんな太閤記』『徳川家康』『春日局』『利家とまつ』『功名が辻』『軍師官兵衛』『どうする家康』など、大河ドラマでは柴田勝家や前田利家並みによく出てくる、常連の歴史上の人物である。
ところが……なぜか大河ドラマの主人公にはなれない。
しかも、池田恒興が「負けて家が没落した武将」ならまだ話はわかりやすい。小牧・長久手で討ち死にし、そのまま歴史の表舞台から消えていったのであれば、主人公になりにくいのも仕方がない。
だが、実際にはまったく逆である。池田家は恒興の死後、めちゃくちゃ繁栄する。
恒興の次男・池田輝政は、やがて徳川家と縁を結び、播磨一国の太守として姫路城を今日の姿に造り替えた人物として知られる。
しかも池田家はその後も途絶えない。岡山藩、鳥取藩という大藩を治め、江戸時代を通じて有力大名家として生き残る。輝政の孫にあたる池田光政などは、庶民教育で知られる閑谷学校を開いた名君として、歴史の教科書にも登場するほどだ。


