3年の摂津支配を「家の礎」に
本来まったく別物の由緒を、平然と縫い合わせているわけだ。しかも楠木家といえば、室町幕府にとっては仇敵筋である。その血を引いていると、後に足利・織田・豊臣・徳川と渡り歩いた家が自称しているのだから、筋が通っているようで通っていない。
そもそも、江戸時代に大名がつくった系図は、おおむね捏造……話を盛っていると思ったほうがいいものだ。それにしても、通例はだいたい「我が祖先は清和源氏の〜」とか絞るものである。それを途中で、楠木正成まで付け足しているのだから、あまりにもダイナミックな盛り方だ。
恒興が摂津を支配したのは、わずか3年である。なのに、なんでここまで「当家の始まりは摂津である」を強調したのか。小林の論文は、中川清秀の娘が輝政の妻になったことや、家臣団には摂津出身者が多かったことを指摘。その上で「やはり池田家にとって摂津を領した3年間が、その後の池田家繁栄の礎であったと認識していたためではないだろうか」と記している。
清和源氏を名乗りながら、途中で楠木正成の血を接ぎ木し、しかもその全ての由緒がなぜか摂津に着地するよう組み立てられている。これだけダイナミックな「盛り」をやってのけた家の誕生物語である。大河ドラマの原作としては、素材だけで十分すぎるほどだ。
だが、ここで一つ厄介な問題にぶつかる。
摂津の清秀の描写に、2市は“怒った”が…
「豊臣兄弟!」は、まさにこの摂津を舞台にした人物の描写で、すでに一悶着を起こしている。中川清秀だ。史実では賤ヶ岳の戦いで討ち死にしたはずの清秀が、ドラマでは前田利家に斬られる場面が描かれた。
これに対し、茨木市(清秀の居城・茨木城があった土地)と、清秀の子孫が藩主を務めた大分県竹田市が、連名でNHKに「史実とかけ離れている」とする遺憾の意を伝える事態に発展した。
(参考:朝日新聞 「豊臣兄弟!」描写に2市「遺憾」 NHK会長「真摯に受け止める」)
つまり、摂津という土地には、400年以上前の武将の描かれ方一つで、令和の自治体が公式に抗議するだけの土地の記憶が、今も生きている。
では、恒興はどうか。
恒興もまた摂津を治めた武将である。しかも、その統治のわずか3年間を「うちの礎だった」と後世まで大真面目に主張し続けた家の始祖である。だが、恒興がドラマでどう描かれようと、彼が治めた摂津のどこからも、申し入れが届くことはまずないだろう。怒りようがないのだ。清秀には今も「うちの殿様」として記憶している土地があるが、恒興には、そもそもそう思ってくれる土地が存在しない。

