NHK朝の連続テレビ小説「ブラッサム」の主人公のモデルが、作家の宇野千代だ。宇野千代は芥川龍之介とどのような交流があったのか。晩年の言葉を紹介しよう――。

※本稿は、宇野千代著、三宅菊子文『宇野千代 ちょっと自伝』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。

花形の作家、雲の上の人

(車中で)今日は田端へ行くんですって。芥川(龍之介)さんの家があるの? そう……もちろん、もう残ってはいないわね。

あなた方の持ってきた“資料”に、わたしが芥川さんの家に通いつめていた時期があった、と書いてあるんですって。それは多分、わたしが藤村(忠、1919年結婚)と一緒に小石川(髪結さんの二階)に住んでいた頃じゃないでしょうか。

藤村が本郷の帝大に行っていて、わたしは事務員をしたり、燕楽軒に勤めたりしていた時代。そうですか、大正6年頃になりますか……。

その燕楽軒のそばに中央公論社があって、瀧田樗陰(同社主幹)がよく来たのよ。作家も来た。わたしが今東光と知り合ったのもその店。芥川さんとも、恐らくそこで知り合ったんでしょう。文学少女だったからねぇ、憧れて、憧れて、家へ訪ねて行ったんだと思いますよ。

いいえ、飛んでもない。「つき合う」というようなことじゃないのよ。芥川さんはもうその頃、花形の作家で、雲の上の人……。

何年も経って、わたしが作家になってからも、おつき合いはありませんでした。どこかの会合で顔を合わせるということもなかったわ。

芥川龍之介からの「ラブレター」

まぁ、ここが芥川さんなの。万年塀と山茶花の木は昔のものなんですか。ほんとうに、ずいぶん立派な山茶花だこと……。

宇野千代さん
出典=『宇野千代 ちょっと自伝』(マガジンハウス)

あの頃、芥川家は一種の文学サロンで、ずいぶん大勢の人が毎日出入りしていたんでしょう。

わたしはその末席に、ただ座らせてもらうだけ……だっただろうと思いますよ。

それでも、嬉しくて堪らなかったはずよ。ドキドキしながら、黙って下を向いて座っていたんでしょう。文学論に加わるなんていう、そんなことは飛んでもない話よ。

そう、そりゃあ売れっ子でしたもの。芥川の小説が雑誌に載るたびに読んだに違いない。何を、というのかは忘れましたけれども……。

もっと大人になってから、そうですね、文学者としては、わたしはそれほど芥川龍之介を尊敬したわけではないのよ。

文学少女のその頃も……売れっ子だから憧れたのかもしれない。とっても男前でしょう。痩せて、蒼白くて……そう、わたしはきっと、あの男前に惚れぼれしたんでしょう。

ラブレターを書いたことがあるんですって? 芥川さんが、わたしに? まさか……。

そういう“資料”があるんですか。いいえ、憶えていませんよ。わたしが拙い小説を見てもらいに持って行った……ということはあるかもしれないけれど……。その返事の手紙、ほんとうに来たのかしら。