かつて強烈な悪役として描かれた「最上義光」
1987年に放送されたNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』。原作は山岡荘八、脚本はジェームス三木、主演の渡辺謙が後に世界的俳優への足がかりをつかんだ伝説的な作品だ。最高番組平均視聴率47.8パーセントを記録した。
この作品に、強烈な悪役として登場する人物がいる。主人公・政宗の伯父にあたる最上義光だ。名優・原田芳雄が演じた義光は、いち早く豊臣秀吉に取り入って勢力を伸ばす一方、政宗を苦々しく思う策謀家として描かれる。アウトローや狂気を体現してきた俳優が全力で演じたことで、最上義光=悪党というイメージが全国に知られることとなった。
しかし、いまそんな義光を大河ドラマにしようとする動きが山形県全域で盛り上がっている。町おこしの有志や、一部市町村が盛り上がっているどころではない。なんと山形県知事までもが上京してNHKに直談判しているのだ。
そこまで山形の人々が大河ドラマにしたい男、最上義光とはいったいどんな人物なのか?
出羽57万石の版図を築いた大名
まずは、史実の義光について説明しよう。
最上氏は、清和源氏の足利氏の支流で三管領の一つ斯波氏の分家。南北朝時代に幕府より南朝勢力一掃の命を受けた斯波兼頼が出羽国に下向、山形城を築いて本拠としたのが始まりだ。以降、現地に根付いた一族は所領の最上郡に因んで最上氏を称した。
その11代当主が最上義光(1546〜1614年)である。内紛が続いた最上氏を統一し、出羽国(現在の山形・秋田両県)に57万石の版図を築いた。関ヶ原の戦いでは東軍につき、西軍の上杉景勝・直江兼続の猛攻を長谷堂城で食い止め、家康の天下取りに貢献した。山形城下を整備して七日町通りを開き、往時の戦国武将としてはほかに例のないと言われる「連歌集」を編さんした文化人でもあった。
その死後に最上氏は改易され、旗本として続くことになる。大名としては続かなかったが、義光が現在の山形の礎を作った名君であることは間違いない。
ところが、世間の義光に対する印象は極めてネガティブだ。たいていの人は「陰気で残忍な悪人」というイメージを持っている。

